自立はいいことかどうか
ふるる

「マザコン」「ニート」「友達親子」・・・色々な言葉がやや否定的に言われているけど、様々なマザコンやニートや友達親子があって、様々な原因があって、それが良いのか悪いのか、の判断もすぐにはしてはいけなくて、99.9%は仮説。みたいな見かたをほんとはいつもするべきなんだと思います。なんか、中国にはマザコンという言葉はないそうなんですよね。親と仲がよくて何が悪いの?ということみたい。私達は西洋的な「子は親から自立しなければならない」「自立しない者はダメだ」という考えに毒されているのかもしれません。(いや、違った、西洋の「自立」のことを勘違いして、「親から離れて暮らす」とか「親とはあんまり仲良くしない」とか「経済的に完全に頼らない」という風に厳しい感じで解釈してしまい、それにこそ毒されているのかも。だってアメリカやヨーロッパではクリスマスは恋人同士だけでなくて大事な家族と一緒に過ごすし、そんなに離れる離れる言わないって言うもの)
どの児童書を見ても、「甘えさせないと親から自立できなくて後で困ります」と書いてあるけど、自立しないといけないって、いったいいつ頃誰が信じ始めたんだろう・・・・。
というか、その「自立」っていうのがほんとに子供の最終目的としての幸せなこと、として認識されているのか・・・。
もちろん、今の社会は「自立していないとダメ」という価値観で動いているから、そうでない者が入ってきたら排除されるんだけど、「自立してなくてもいいよん」という価値観だったら、大丈夫なわけで。
私の親は未だに精神的にも経済的にも親に甘え、子に甘えているんだけど、私はそれがすごく嫌で、やっぱり人間自立しないとダメだね、と思っていたのですが、よくよく考えると、昔はそれが普通だったんですよね。結婚相手は親が決めて、子供も親が一緒に育ててくれて、老後は子供が面倒見てくれて。一緒に暮らしているから苦も楽も別ってことにはならない。誰かの心の負担を誰かが背負ったり、寄りかかり人生ですね。
私の子供の頃も、アニメなんかは「お母さんに会いに行く」というのがすごいテーマで、「お母さんから離れていく」というのではなかったですよね。
バカボンとか、はじめ人間ギャートルズとかど根性ガエルとかも、お父さんお母さんがいた。(ごめん、ギャグマンガばっかりで、偏りがあるかも・・・)
なんだけど、キャンディキャンディの頃から、漫画から親がいなくなっていく・・・。
西洋文化が入ってきた頃、自立という言葉や考えも入ってきて、それは戦前からか戦後からかは分かりませんが、私の世代の話をすると、ダニエル・キイス の「24人のビリー・ミリガン」とかトリイ・ヘイデンの一連の書物や「聖なる予言」あたりで一気に「親から与えられるトラウマ」「親がやばい」みたいなのがブレイクしましたね。
そこでみんな、(みんなってわけじゃないか)
「あ・・・・・・親から色々言われたり束縛されたり身体や言葉の暴力って、愛情じゃなくて無理矢理つくられたドラマなんだ・・・・・・」
と思い込んだ。(私もその一人)さらに
「幸せになるためには親から精神的に離れる(精神的自立)が大事なんだ」
とも思い込んだ。
一概には言えませんが、なんかこの辺りで、「みんなで支えあって苦も楽も共に生きている」といういっしょくたの共同体意識が「私は被害者、あなたは加害者」という個別意識に変わって行ったのだと思う。(私だけかな・・・?)
すると、そんなことは知らない私の親世代は
(何で子のこは自立自立ってうるさいのかしら)(何で干渉するなというのかしら)となるし、価値観が違うから喧嘩にもなる。今は当たり前のように「一人で生きていけるように教育するのが親の役目だ」と言われるけど、言い出した奴は誰だ。本当に日本人が、独自に、日本人に合った風に考えたことなのか、外国で言ってることの転用なのか。
結果、女の子も一人で生きていけるようになっちゃって、少子化が進んだよ。
昔はどっちかというと「集団の中で生きていけるように自分を殺す訓練をするのが親の役目」だったんじゃないでしょうか。
今だって日本人は気質的には農耕民族で、みんなで仲良く一つの農作業をしましょうよが基本だから、みんなで一人一人ばらばらにっていうのはあってないのかもしれないと思ったり。元に戻れとか昔はよかったよねと言うつもりはないですが。

昔の人なんて、経済的にも精神的にも全然自立(きっぱり個別に別れて)なんてしてなかったし(多分)、それが当たり前だった。
結婚相手は親が決めて、子供も親が一緒に育ててくれる。自分も将来はそうしてあげようと思う。そら当然だ・・・・。
昔話でも分かるけど、西洋では「自立」は昔からの大きなテーマで、王子さまは戦ってお姫さまと結婚するのが人生の目的です。
でも日本ではどっちかというと子供ががんばって親を幸せにするというのが人生の目的。
もしかしたら、そっちの方が合ってるんじゃないかいな・・・・・。
親から自立(日本では、離れること、というイメージが先行してると思う)なんかして誰が一体幸せになったと言うんだろうか。
そもそも、何で西洋は自立がテーマなの?あれかな、狩猟民族で、親がすぐに死んじゃうような環境だったのかな。
なるべく早くひとり立ちせよという。農耕民族の場合、なるべくみんないっしょにというのが基本だもんね。。。

そうだよねーーーー。私も小さい頃はまあ息苦しくもあったけど、3世代同居でおもしろおかしく暮らしていたんだ。
なんだけど、本とか漫画とかで自立自立(精神的にも経済的にも)言うし、親子は加害者と被害者って言うもんだから、すっかりそれに洗脳されちゃって・・・・。
あれかしら、戦争をして、「みんな何にも考えないで上の命令に従ったからよくないんだ」「これからは一人一人で考えないとやばいじゃん」というのもあったのかも。
今、社会は二つに分かれていると思うんです。私の親世代(団塊の世代)は「親族みんななかよく(精神的にも経済的にもべったりんこ)」が基本。それ以降の世代は「一人一人が自分の足で(精神的にも経済的にも一人でがんばれ!)」が基本。当然無理!軋轢がある。
今の子供が中々自立できないというのが問題になったりもしますが、よっぽど親がそういう知識をもって育てない限りは、昔のまんまの「親族みんなでやっていこうよ」が基本で、「ダメな子は一生面倒見ますよ」的な子育ての仕方なんじゃないかなあ。というか、どこの世界でだって、精神も経済も親から離れるって無理だよね・・・。あ、もちろん本当に加害者的な親がいることは確かで、そこからは早く逃げなくてはいけないんですが。
もちろん「親族みんなでやっていこうよ」というの、楽は楽だけど、女性はつまんない世界ですよね。嫌なことは女性にしわ寄せがきちゃう。
多分「一人一人が自分の足で」というのは男性がつまんない世界なんじゃないですかね。嫌なこと(家事や育児)が自分にも降りかかってくるから。
嫌なことを嫌って思わなきゃいいんですけどね。それなりにねぎらって貰えるとか。
だから、私が思うのは「自立」という言葉の意味をもうちょっと緩くしたらいいんじゃないかということ。自立っぽいのが好きな狩猟民族西洋チーム(?)とみんなとべったりが好きな農耕民族アジアチーム(?)、お互いのいいところ込みの意味で使ったらいいんじゃないのってことです。
なんかマザコンとかニートとかについて、拒否反応ありすぎじゃないですか。(「マザコン」への拒否反応は佐野史郎の冬彦さんがあまりにもすごかったせいかも・・・知らない人は調べてね)
ただの親孝行な人ってこともあるだろうし、そんなに精神的経済的にきっぱり親から離れられる人っていないと思うし・・・。

んー、結局「自立」ってわりといい意味で使われているけど、なんか甘えは絶対に許さない、親から離れて一人旅、的な厳しいイメージが私にはあるんですが、どうなんだろう。

今ブームのスピリチュアルとか、ご先祖さまが・・・とか親を大切に・・・というのは、現代人の気持ちが親や親族から離れすぎたのを、戻そうとしているのかも。

あんまり離れすぎてもつらいもん。うん、前はくっつき過ぎだった気がするから、今度は離れて見ようよっていって、それでよかった時代もあったけど、今はそうでもないみたいで、そんな中での適度な距離、これを今探っている途中なのかもな。。。


散文(批評随筆小説等) 自立はいいことかどうか Copyright ふるる 2007-02-01 12:47:49
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