創書日和。雪 【軍靴の響き】
佐々宝砂
彼は眠りこけているが彼女は目覚めている。
息で曇る車窓の向こうは夜更けた雪国、
どうせなら洒落たペンションにでも泊まりたかった、
と彼女は思うけれど、
財布の中身を考えれば車中泊もしかたない。
ヒーターを強くしても南国生まれの彼女は震える、
少しでも暖まろうと恋人の腕に触れる、
と、電気が走ったみたいに彼女は飛び退いた。
「ジブンハテイコクリクグンダイハチシダンホヘイダイゴレンタイノ」
「な、なに言ってるの? ねえ」
「コノガケヲオリレバアオモリダ!」
「ねえ、ねえ、ここ、青森だよ?」
「キュウジョタイガキタゾ!」
「ねえお願い、目を覚まして」
「イヤオレハココデシヌ」
息で曇る車窓の向こうに黒い群、
重たげな毛糸製の外套からつららを下げて、
一人が喇叭を吹く、
金管楽器の明るい音が響き渡り、
直後、男の唇は剥がれ、睫も髪もすべてが凍り付き、
彼女はすっかり硬直している、半ば魅せられて、
暖冬の八甲田山の麓に、
軍靴の響き、
それほど深くもないはずの雪をざくざくと踏みしめて。
彼は眠りこけているが彼女は目覚めている。
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