今日はきっと頭が痛い
佐々宝砂

今日は早朝バイトがないけれどまだ起きている。テレビではもうイラクの三人の人質について報道しているのだろうか、いや、まだ報道しているんだろうか。テレビを見る気がしないのでわからない。わからないけどたぶん報道してるんだろう。「わからない」と報道してたりもするんだろう。でもわかってることがひとつある、私はきっと、今日は頭が痛くなる。

だいたい良くないことは予想ができる。わかってたじゃないか、と後で言ってもしかたないけど、だいたいわかってる。わかってたじゃないか、自衛隊がイラクに派遣されたら、アメリカの飼い犬である日本が、かつてはわりと中東のお友達だった日本が、イラクの一部とはもはやお友達とは絶対に言えない間柄になり、テロの対象となるかもしれないってことは。わかってたじゃないか、自衛隊がいかに大切な人道援助のために派遣されるとしても、日本からきた彼等はイラクに住む彼等から見たら「軍隊」以外の何者にも見えないであろうってことは。わかってたじゃないか、自衛隊派遣によって、自衛隊と日本のNGOが混同され、もしかしたらこんな事態に、つまりイラクにとっても日本にとっても真に重要な活動をしている人々が攻撃の対象になるかもしれないってことは。わかってたじゃないか。予想できたはずじゃないか。などと私が言ってもしかたないことなので、もう言わない。


とにかく今日、私はきっと頭が痛くなる。なぜなら頭痛の前兆である偏頭痛性閃輝暗点のこっぴどいのが見えるからだ。私には幼いころからこいつが見えた。眠るときに電灯がついていたりすると、必ず見えた。視界の右半分の中央に、くるくるまわる小さなモザイク模様が見えた。目が覚めて朝日を見つめたりしたときにも、モザイクは見えた。なぜだか知らないけど、ものごころついたときから、あれは幻だとわかっていた。モザイクはひどいときとひどくないときとある。ひどくないときは小さなモザイクがきらきらまわるだけで、自動車運転にも差し支えはないし、頭痛も起きない。しかし、ひどいときはモザイクが肝臓型に成長し、その隈取りはきらきらと乱暴に光り、モザイクの内部は真っ白になり、私の視界を半分ふさいでしまう。面白いと言えば面白い。美しいと言えば非常に美しい。だが、そこまで成長した閃輝暗点が見えたあとは頭痛がものすごくなるし、モザイクが消えても視野右側に暗点(見えない部分)が残る。具体的に言うと、鏡を見た場合、自分の顔は見えるのに右目がないように見える。

今夜はモザイクがひどい。パソコンの画面すら見にくい。きっと頭痛はひどくなるだろう。偏頭痛予防薬を飲んだ方がいいのだろう。しかし私は薬を飲まないつもりだ。なぜだろう、なぜだか自分でもわからない。「わかってたじゃないか」と言うことの愚かさを実感したいのかもしれない。


日本を動かしている人々は愚かだと思う。彼等を選んだ私は愚かだと思う。彼等を選んだあなたのことも、選ばなかったまたは選べなかったあなたのことも、愚かだと思う。みな愚かだと思う。わかっていたじゃないか、戦争は愚かだ。報復も愚かだ。じゃあ何をしたらいいのかと真剣に考えた人々も中にはいて、彼等は本当に尊敬すべき人々なのだけれど、彼等もある意味でとても愚かだったので、いまあそこで人質となっている。彼等はなるほど人質にされるべき人々なんかではない、救出されるべき人々だ、だが、アメリカの軍隊に殺されたイラク人たちも、殺されるべき人々ではなかった。救出されるべき人々だった。だから彼等を救いに行った人々がいて、そしてその人々が今度は「救出されるべき人々」になってしまった。日本のセンセー方よ、この混乱をどうするつもりだ。

私には答なんか出せやしないし、イラクに人道援助しにゆくこともできない。私はただここでこうして書くだけであり、それですら、私にはつらいこと無駄なことのように思える。だのに私は書いている。私は「書く」ということの何かを、いやもっと明確に言おう、「書く」ということの力を信じているからだ。私はそんな私のことをとても愚かだと思う。誰よりも誰よりも愚かであると思う。


散文(批評随筆小説等) 今日はきっと頭が痛い Copyright 佐々宝砂 2004-04-09 05:16:10
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