哲学的人間
生田 稔

哲学的人間

批評子



一日目

 共産党的人間という本を読んだことがあって。内容にはあまり賛成できなかったけれど、作者の文章が印象に残った。
 だけど彼はいう、サルトルなど読むなと,毛語録だけ読めば十分だ。まだ三十半ばで勉学中の私はとっても戸惑った。確かにその後サルトルは読まなかった。カントとヘーゲルとキルケゴール、それから西田幾多郎、ハイデッガーやフッサール、またまたプラトンやショウペンハウエルなど手当たりしだいに読み耽った。
 そのほか哲学概論と哲学入門をしたたかに読んだ。暇のある人は哲学をやりなさいとわたしは勧めますね。べつに優秀な人にはなりませんね。だけど賢いと自任する人たちの打ち立てた学問体系の構造ぐらいはわかるというものさ。
いろいろな術語を取入れますよ。一例だけ挙げますと、カントの「純粋理性批判」の中のカテゴリー(範疇)なのだが、これはカントの造語で、希語であって、裁判のときに犯罪の種類と量刑に関して用いられていた語を流用したのだそうだ。
 シェクスピアも2千語ほど造語したそうだし、すると学問や文学は底が知れているということになる。それでもこうした文科系文学は造語に見られるように、きわめて個性的なる故に、その存在価値を持つに違いない。
 わたしもこの稿を書く動機はといわれるとちょっと困る。近所のスパーの本屋で、生物学に関する文庫本と「その英語使えません」の同じき文庫本、この一週間ほどこの2冊の立ち読みに凝っている。
 つまりそんな風にしているうちになんのことなくこの文を書く羽目になったてことよ。本屋の立ち読みのあと、これまたいつものように、キリン一番絞り360ミリリットルを呑んでいたら詩の構想が湧き。その構想があまりにもつまらないので、じゃあ哲学について書こうと思いついたてこと。
 哲学は聖書の伝道者であったわたしの生活の副産物であった。家々を廻ると、どうしても聖書につまり宗教に対して哲学を出される方がかなりいて、これは哲学もやってみねばと思い立ち。
 哲学をやると宗教において堕落し、横道にそれるという意見がわが教会にもあり。こそこそと哲学的著作を読んだものだ。
 わたしの書斎は、応接室でもあり本は数少ない装飾品の一部である。英語数学理科国語四教科ができれば東大に入れるが、つまり人生のある部分で成功するということだ。でも哲学書は私の部屋では表題を隠して裏向けに本棚に入っている。その理由は押して知るべしである。


哲学的人間
 2日目
 
ヘーゲルの話を大学講座で聴いた。へーゲルの説くモナドは悟性認識の不分割単位としての存在をさすらしい。つまり悟性のほかに感性などを併せ持つ、個性ある存在。地球では人間がその代表例となり、彼は自身より上位の者としての神々を想定する。
  だが言うまでもなく、人間以外の生物もモナドである。こういうと当たり前のことだだということを言う人があるかも、しかし哲学は、当たり前のことの背後を考える学問である。
 人は、獣のようにただ生きているだけでは満足しない。脳内の言語中枢が、彼らより異常に発達しているから、なぜ生きているのかなどと考えるのである。これもまた当たり前の一例かも知れぬ。
 古文を解説した本を読んだが、作者がこの文章を引くのは、よく知られているので気が惹けるのと洩らされる。
 しかしある場合には、そういう発言は、興を削ぐ、2回目や3回目でも、よく知っていても名文はいつでも良いもであるから、気にはならないものではなかろうか。
 わたくしは文章でも講演でも、「かもしれません」、「ではないでしょうか」という表現を使うことがある。相対する人の顔をよく見ていると、こういう表現はわりと抵抗なく聴けるらしい。
 モナドはすべて個性的である。自己主張が衝突するゆえんではないか。京都弁で言うならば「そらみんな自分ちゅうもんがあるのやさかい、意見がちごててもしょうあらしまへんがな。」となる。
 虫もまた意識あるモナドであること幾度も知った。アイロンをかけていたら青い細い尺取虫が私の手の甲を這っていた。丁度死について考えていたとこで、可哀そうになって手を差し伸べてやるとその差し伸べた手に上がってきた。それで立ち上がり戸を空け外に出してやつた。2センチばかりの虫だが、救ってやろうという僕の気持にこたえてくれたらしくて嬉しかった。はっきりとこんな風に人間に、虫が意思表示してくれたことが何回もある。
 小鳥に説教をする聖フランチェスコと言う絵をみたことがある。小鳥はきっと言葉はわからなくても、フランチェスコの気持は分つたであろう。
 近年のアジアの大津波にしても、動物や鳥達はいち早く津波を予知して全部逃げたという。彼らの死体は一つもなかったという。
 蝉は音楽を提供してくれていますが、けっして蝉取りをしてはいけませんよ。といつも子供に教えていたらよい子になるかも知れません。


散文(批評随筆小説等) 哲学的人間 Copyright 生田 稔 2007-01-24 16:31:29
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