紙媒体の詩とネット媒体の詩の違いについて
ふるる
私は3年ほど前から詩を書いたり読んだりし始めたので、紙媒体の詩もネットに流れている詩も量的にはさほど読んでいないので、色々思い込みや誤解があるかもしれません。その上で思うことをいくつか書こうと思いました。あと、すでにさんざん言われているようなことでしたらごめんなさい。
「紙媒体の詩とネット媒体の詩の違いについて」
○ありがたみに関して
・ネットの詩は紙に書いていないので、ありがたみが薄い
↑と感じる世代が確かにいるようです。私の母などは、漫画=バカが読むものと決め付けていて、きっとネットの詩=バカが書くものと決め付けている人がいるんでしょう。
そして、母に漫画を読んでもらって「やっぱり漫画もすごいわね」と思わせるのは多分無理だと感じます。どうやら読み方も知らないらしいから。もしかしたら、ネットの詩をダメだと決め付けている人は、こうこうとした画面にあるそれをスクロールしながら読むということが大嫌いなのかもしれません。プリントアウトされたフォントも大嫌いなのかもしれません。私はそれを利用したら面白いのになと思うけど。
・ネットの詩は紙に書いていないので、重さもないし匂いもないし、詩集やなんかのデザイン性というオプションもついてないので、やっぱりありがたみ(愛着)が薄い
↑私も紙の本が大好きなので、これは分かります。本て、匂いを嗅いだりなでさすったり背の辺りを齧ったりもできるし。(なんかやらしいな)つまりは、詩とか文学とかって、紙や本という形とセットで愛されているような気がします。今まではね。紙に書いていない、本になっていない詩は、ジャケットのないレコードみたいなものかな。
ということで、ネットの詩は残念ながら、感触という点では紙の詩には劣るというか魅力が少ないようです。
○質に関して
・色々な作品、色々な読者に日々会えるので、一人閉じこもって書いているよりは質が高くなる。
↑読者を意識できる、独りよがりにならない、(人にもよるけど)という意味で。
やっぱり絵も、近くで描いたり遠くから眺めたりして完成させるわけですし。
・とはいえ、お金もらって書いているプロではないから、お金もらって書いている人より質が落ちる。
↑質が落ちてない、というのは芸術的かどうかとかそこまでじゃなく、「売れるための最低限のレベルである」ということです。誤字脱字や誤用はあってはならないし、売るためには二番煎じを避け、少しでも読者のニーズを捉えようと四苦八苦する。ひとたび売ろうとするなら、出版の営業の人や書店の人のお世話にもなるし彼らの生活もかかっているわけで、一口に言えば自分ひとりの責任じゃなくなるから、一人の時以上にがんばる。
もちろん、パソコンに向かってたった一人で、ただ働きで、そういう作品を作り上げている奇特なあるいはプロを本気で目指している方もいますし、その方達のことは言ってませんが、多くは趣味の人でしょう。趣味の人にプロの仕事を求めても仕方ないですし、質が落ちるのは当然というか当たり前のことで、別に今更それが悪いってわけではないです。(けど、最後まで読んでもらうためには、誤字脱字はなるべくない方が・・・。)
つまりはネットに詩を出す趣味の人は、プロ以下、ど下手糞以上、のものは書けるようになるのでは。そして実際書いているのでは。(勝手なこと言ってるなー)
○読者と作者の関係に関して
・速い!
↑書いたのを出すのも、それが読まれるのも、感想なり何なりをもらうのも、書いたのを消しちゃうのも、どこかにいってしまうのも、とにかく速(早)いです。これは文学始まって以来の速さというかもはや革命に近いのでは。その影響はまだ明るみに出ていないけど、私は読者は異例の速さでどんどん「読める人」になっていく気がします。それに比例して、そういう読者を満足させなきゃならないから、作者は異例のはやさでどんどん「書ける人」になっていって。
がしかし、すごい才能がある人がいたとして、その速さについていけずに脱落していく人がいてしまうということがあるかもしれません。どんどん読む暇がない人は残念!ってこと。あるいは、パソコンを持てない人とか。
・速い!その2
↑それで、読者に応えるためと言って作者はリアルタイムで作風なり作品なりを変えていくと思うのです。それは好むと好まざるに関わらず。「おいらはスタイルを変えないぞ!」と思っている頑固な人も、やっぱり「素敵です・・・」というコメントを見たら「お、こっちの路線がいいのか・・・そうか・・・」となって、自分では意識してなくても、自然にそっち路線に行ってしまうかもしれない。行かないかもしれないけど、そのコメントを見る前と後とでは、違ってきてしまう。明らかに、部屋にこもって、出版に何ヶ月もかかって、反応が来るのにさらに時間がかかる、という従来の作者とは違うでしょう。良くも悪くも影響を受けすぎるきらいがある。もっと悪く言えば、同じようなのばっかりになる可能性が・・・いや、ないかな。いつの時代にも異端が好きっていう人はいっぱいいるし。
速いということでは、影響がまだよく分かりません。けど、今までとは違うとは思います。
○評価に関して
上のことを見ても、ネット媒体の詩と紙媒体の詩というのはかなり性質が違っていると思われます。
どっちがいいか悪いかとかでなく、ただ、今までのものとは何もかもが違う。
「どっちも言葉じゃん」なんて言ってられませんです。
もしかしたら、ネットの中の方が、今の時代の詩の棲家としては合っているのかもしれないし。(ほんとだったらちょっと嫌かも)
それで、私が不思議に思うのは、ネットの詩と紙媒体の詩を同じまな板の上に上げて論じることが果たしてできるのか、あるいは、今まで紙媒体の詩を論じてきたのと同じ方法でもってネットの詩に何か言えるのか、それをすることで詩全体にとってすごくいいことが起こるのか、ということです。起こるならいいけど。
違うと思うんだなーーー
昔からネットがさかんになる前までの、詩集として出された詩、同人誌の中の詩、とにかく紙にとじられた詩、ひとつの重さを持った本の中の、もって歩ける、大切に読まれる(かはわかんないけど)詩と、今の、携帯でも気軽に読めて気軽に書ける、軽くて速い詩。(どっちがいい悪いっていうんじゃないですよ)
それとこれとは全然別物として扱わないとと思うんだけど。
別物で扱った方が、お互いのためというか、時間が無駄じゃない気もするし。一緒に論じちゃいけないってわけじゃないけど、違いのことを考えずに、単純に比べていいか悪いかっていうのは、ちょっとと思う。
作者も読者も、その速さに嘆いたりしてる場合じゃないと思う。それがネットというものなのだから、いいところはもらって、紙の詩が好きならそれでもいいし。
紙の詩とネットの詩をくっつけようよ、とかももういいような気がする。(私はですが)紙は紙でいいところもあるんだし、ネットが嫌いな人は嫌ってればいいよ。しょうがないもん。で、今主にネットの方で書いたり読んだりしている作者や読者も、あんまり今のと昔と違う、昔はよかった、あるいは今のネットのやつの方がいい、みたいに言わないほうがいいと思う。
ネットの詩は動いたりもできちゃうし、瞬時に世界中を飛びまわれる。それを読めるパソコンを持てる人が世界が100人の村だったらたったの数名ではあるものの。私が思うに、進化の道がもう、違うんですよ。
いや、今の時点ではこう思うってお話ですが。
あ、でも、いい、悪いというのも必要な時は必要なんで、違うんだということを知った上で、いいとか悪いとか言ったらいいんだと思います。
(おまけ)
ネット媒体の詩と紙媒体の詩はいいか悪いかじゃない、単なる違いがあるだろう、ということを言いました。
で、ネット媒体の詩がこれからどういう風になっていくのかを予想したいと思います。
○読者も作者もすんごい切磋琢磨されて、すんごい書き手がばんばん出てきて、「これからの詩人はネットで修行してからでないと!」の時代が来る。
○時間のある若者が読み手なので、若者好みの詩ばっかりになって、例えば「ライトノベル」のように「ライトポエム」という分野が確立される。大衆に愛されるという点では成功だ!萌えるイラストなどがつけられて、「妹ポエム」「ツンデレポエム」なるものも流行る。
○何故かネットの詩はオープンソースというのが流行り、誰もが許可された詩なら好きに変えたり増やしたりできるようになり、替え歌ならぬ替え詩や、一大叙事詩ができあがる。
○ポイントが第二の通貨=「ポエン」として流通し、高ポイント所得者にはいいことが・・・・
○何故か宇宙探査機として打ち上げられる。
○その他
・・・・?
この文書は以下の文書グループに登録されています。
■■■詩についてのあれこれ■■■