以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- - ふるる
- とても美しい文章でした。
- - 青色銀河団
- 美しい文章をありがとうございます。
m.qyiさんの書かれた文章を読んでいるうちに、ドイツの哲学者、オイゲン・ヘリゲルが日本での弓道の修行体験を記した「弓と禅」を思い出しました。
『ある日私は師範に尋ねた、「いったい射というのはどうして放されることができましょうか、もし“私が”しなければ」と。
「“それ”が射るのです」と彼は答えた。
「そのことは今まですでに二、三回承りました。ですから問い方を変えねばなりません。いったい私がどうして自分を忘れ、 放れを待つことができましょうか。もしも“私が”もはや決してそこに在ってはならないならば。」
「“それ”が満を持しているのです。」
「ではこの“それ”とは誰ですか。何ですか。」
「ひとたびこれがお分かりになった暁には、あなたはもはや私を必要としません。そしてもし私が、あなた自身の経験を省いて、 これを探り出す助けをしようと思うならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとなり、教師仲間から追放されるに値するでしょう。 ですからもうその話はやめて、稽古しましょう。』
という記述があるそうです。(実はちゃんと自分でも読んでません)
的に当てようとするな。自分が矢を放すのではない。
詩を書こうとするな。自分が詩を書くのではない。
まさに詩を書くのは「詩道」における修行そのものに他ならないかも知れませぬ。
- - 初代ドリンク嬢
- - 若原光彦
- - 角田寿星
- ぼくも実は、「青色銀河団さんが読んでくれてたので」現フォをやめなかった一人です。
コメント更新ログ