以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- - atsuchan69
- - こしごえ
- - 海
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- - 菊西 夕座
- 「無縁坂」というと、さだまさし、が思い浮かぶわけですが、S氏に捧ぐのS氏とは、やはり、さだまさし、でしょうか
さだ氏の歌「無縁坂」は母を歌っておりますが、この詩からも母が色濃く感じられます。
おそらく喘ぎながら人生の苦しい坂をのぼる母に負ぶさっていたときの幼児の記憶なのでしょう。
詩の情景はひそやかでありながら、蝉時雨がふりやまない耳に響く状況下でもある。坂はどこまでも苦しく長くつづくようでいて、たどりつく場所が予期されてしまう。白い花や小さな洗濯物の影を盗み見ることで、視線は外へ外へ向かおうとしつつも、おへその下あたりがくうんと痛んで、記憶のはじまりのころ、母の胎内へと収斂していくようでもある。
こうした対比を考えたとき、ここにはひとつの収縮と膨張、つまりは呼吸が感じられるわけでして、おそらくは母親の苦しくも子どもを背負って精一杯に足をふんばって生きていく息遣い、そこに幼子の不安感と安心感が同期(動悸)されているのかと思いますが。
忍ぶ不忍無縁坂・・・わたしも一度、ゆっくり訪れてみたいです。
---2025/09/13 10:15追記---
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