気づかないよ/足立らどみ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 本田憲嵩 
- こしごえ 
昔、永瀬正敏さんの「サントリーザ・カクテルバー」のテレビCMで、
永瀬さんが、「愛だろ、愛っ。」と言ってましたね。今でも、その言葉は、通じると思います。^^
- 洗貝新 

『愛』愛の本質とは。
イエスは友のためには命を捨てることだ。と犠牲の精神で無償の愛を唱える。
否かこの言葉よりも以前に無償の愛は存在していた。
戦士一族郎党のために自らの命を投げ出したのだ。聖戦士として。
この意味は、愛の本質は死である「ヴインランド.サガ」幸村誠の漫画となって蘇る。
一方では
愛には4つの基本的要素がある。
配慮
責任
尊敬
理解(知)を
成熟した技術としての愛として
哲学者エロール.フロムは取り上げる。
なんと純粋に合理的な思考の叡智ではないか。
擬似的な愛を体験するAiならば、
このことはすぐに理解されるだろう。
同じように感情を持たないAiにとっての犠牲の精神
「無償の愛」も当然理解てるきるのだ。
ならば、果たして愛の本質とは生なのか死であるべきなのか。
そもそも何故生きて死ななければならないのか。
Aiと同様に我々人間もその答えを確信してはいない。


---2025/09/04 23:10追記---
 
作者より:
こしごえさん
ぼんやりと記憶のあるCMですね。絶望の隣はあんがい捨てたものじゃ無かったことに
気づいた永瀬さんは立派ですね(CMですが)。

アラ氏真面目ログ版。たぶん使い分けることで言葉に深みを出したいのですよね。違うか?
無償の愛は一方通行だとはよく言われますが究極の愛が自己犠牲というのは無垢な古代守の
世界観。悪いというのではなくて、古語で詩を書く人たち。少なくとも自己犠牲の中には
同じ「人」の自分も入っているという逆転の発想が発見された近代哲学を無視する理由は
単に勉強不足のおバカな情弱者なのでしょう。生きるべきか死ぬべきか猫でも悩む時代
ジェンガティンガ司令の目線により第3の目は開かれたというのに、、先に進みましょうhttps://note.com/adam_child/n/n15489073f6ae

こしごえさんに話した通り詩は死をこえて今の世は叡智を求めている
そのため今まで詩を死とする詩人の詩🟰死の概念を知らないアホかと
理解してもらえなくても、詩は師なのだと理論展開してきたのですから、、、
再度、繰り返すけど、AIは凄いのではなくて師弟関係が構築できない、
AIの書くという詩は詩ではないのてすてす

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