天国は展開の極意 二章~いまも生きております、はずれの音で~ /菊西 夕座
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 洗貝新 

「君の名は」 菊田一夫「忘却とは忘れ去ることなり」わたしの生まれるずいぶん前の作品ですが、2016年公開のアニメで同名タイトル作品もある。のですが、わたしは観てないでーす。この詩も佐田啓二&岸惠子のほうかなあ、あ!もちろん橋の袂で逢いましょう。くらいしか覚えていないですよ。はらはらわら。
でもこの詩は「チヨっちゃん」かな。いま再放送してるから、笑。なんとも古村比呂の演技が下手くそで、それが妙に初々しいのです。そうなんだ。この詩は初々しいくも懐かしき後追いのエレジーにあふれた。少し腹巻きにはらはらわたわた。ずっと続いてきた連続テレビ小説を思わせる。それは僕の妄想なんだ。


---2025/06/03 08:04追記---
 
作者より:
りつさん、洗貝新さん、ありがとうございました。


洗貝新さんへ。

 どうも私もモウロクしてしまったようで、ジブリ映画の「君たちはどう生きるか」を「君の名は」とすっかり間違えておりました。

 いまさら直そうにも「君たちはどう生きるか」の最後尾に肝心の「は」がないので、もう直せません。なので、「文字ジブリ化けーション」を「文字化けユアネーム」と変更させていただきます。もうしわけありません。

 私も「君の名は。」のアニメは観ておりません。菊田一夫ヴァージョンも残念ながら知りませんでした。菊田一夫ヴァージョンはずいぶん人気を博されたようで、真知子巻きというストールの巻き方が流行したとか。といっても洗貝新さんはスカーフよりも腹巻のほうがしっくりくるようで、はらはらわらわらされていらっしゃるもようですが、わたしも真知子さんより平川綾真智さんのほうがしっくりくるというか、なんか知っているという感じですが、とにかく今回は知っているつもりでひっぱりだしてきたものが全然別物だったという失態に、われながら唖然としている状態でございます。

 ですが、「チヨっちゃん」はこのまえチラっと見た記憶があります。佐藤慶さんがお父さん役で、チヨっちゃんが音楽をやりたいとかいって家を飛び出したのを「まだ許してない」だか「まだ認めてない」だか言って頑固に意地を張ってましたが、そうかといってチヨっちゃんを突き放すこともできず、チヨっちゃんが実家に帰ってきたらそわそわして気になって仕方がないといった感じでしたね。よっぽどチヨっちゃんがお気に入りなんでしょう。

 ということで、私もこの詩がお気に入りでございまして、「は」の文字がはがれおちて独り立ちしたのに、いつまでたっても突き「は」なすことができないという、親バカ根性がよく現れてしまっているわけでございます。そんな親バカの子どもですから、当然、演技が上手いわけがない。いつまでたっても初々しい初物の「は」でしかいられません。なんでも「は」じめてみたいな演技しかでんきないんですね。そんな昭和時代の初々しさが、洗貝新さんにおかれましては懐かしさを呼び起こすのかもしれません。腹巻にもしっかり「は」の文字が最初についているように、どこか「は」という字は初めの一歩、人類の最初に話した言葉を飾るにふさわしい音であり、こどもであり、橋渡し(コミュニケーションツール)の先端であると感じます。

 であればこそ、「は」はいわばIPS細胞であり、どんな変化も可能な万能機能をもっているということで、たとえ「君たちはどう生きるか」をとりちがえ、実写化するにあたって「チヨっちゃん」を主人公に抜擢してしまっても、「君の名は。」に置き換えることが可能であり、「君の名は」と問われて「佐田啓二&岸惠子」と答えたとしても、そこには「チヨっちゃん」であったはずの細胞因子がどこかに影をひそめていて、懐かしき後老いのエレジーをかもし出すのだと思います。連続テレビ小説風とはつまり、たえざる変換のなかにも生き続ける処女性の連綿たる気配かと考えられます。

訂正履歴:
文字化けの部分を化けさせていただきました。25-6-7 17:00
文字化けの部分を化けさせていただきました。25-6-7 16:58

Home
コメント更新ログ