作者より:
鵜飼千代子さん、
自動書記、今の僕の詩表現は、
変な言い方になるけれど、以前とはかなり違ってて
確かに自分の内から湧き出てくるものを書いてる
そのことは自動的なのでしょうが、
その湧出性自動性には内的な必然性があると、
自ら意識する主体である自分自身がちゃんと居るわけ
だから、正しい意味合いでの直観
なんですよ。
(ブルトンだのシュールのなんたらかんたら、
無意識的意識的の中途半端な次元とは、だから最早全然ちゃうのですw)。
後、回りの愚か者共が何を言おうが知ったこっちゃない
のです、
今の僕の詩表現・詩作品は、
飽くまでもそれぞれに重要な生活作業の一環なので。
つべこべツマラナイへ理屈つけたりして他者のことを罵ったり貶めるすることに自己満してるペダンチックなディレッタントな奴ら(実際に会って頭を突き合わせたら何も僕に向かって言えなくなる性格人格ブスゲス)に付き合ってる暇はもう無い、のです。
わざわざご忠告感謝です。〇√ゝ
ありがとうございます♪
---2025/05/10 19:04追記---
追記、
〉(ブルトンだのシュールのなんたらかんたら、
無意識的意識的の中途半端な次元とは、だから最早全然ちゃうのですw)。
この点部分、ブルトンの中途半端さを批判し自らの感情的混沌としての内的体験(神秘体験)を書き表わす不可能を書き残したバタイユ、ずっと毅然とマシだなと。
まあ、感情次元の体験の先の更なる次元の現リアルには至ろうとはして居ない、その限界、今の思考力動リアルを生きて居る僕には感じ思わざるを得ないのではあるのですが。