作者より:
ポイント、コメント有難うございます。
足立らどみ 様
私が何処の何であるかは、もうどうでもいいのです。
小学生の時、川崎洋の詩に感動して以来、
憑りつかれたとしか言いようのない創作意欲を持っている、
そんな普通の人です。
詩を書く前に、人間の生活があると、
両親も、兄弟も、友達も、同僚も、皆そう私に教えようとして、
ここ最近やっと彼らが言った意味が解ってきました。
詩に生涯を捧げる、なんてことをしでかす力は私にはありません。
でも、他に何も、私の心を動かすものがなかったのです。
なかった、と過去形になったことが良かったのか、悪かったのか、
その先の人生の展望はまだ見えませんし、
これから何をしていいのかも、分かりませんが、
俗世にあり、そして自分は神ではない、という認識は一体変わりません。
私は詩に、ちっぽけな心を傷付けられ続けてきたのかもしれません。
そして、詩はそんな私をただ黙って見詰めるだけなのです。
私は、まず人間として幸せになるべきだったのです。
主観的に、詩人に、会ってみたいなぁ、と感じていて、
自分はそうではないことだけが分かります。
らどみさんの感じた聖性と、私の感動もまた、きっと違うものでしょうが、
詩とは何か考える必要はきっとないのです。詩人は、会ったら分かります。
そういうものなのです。
会えないということ、会ったということがすべての答えなのです。
(ちなみに、私にはまだなんの答えもありません。)
「聖性」について、しばらく考えてみると思います。
有難うございます。
愛を込めて ゆめ