波紋/たもつ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- こしごえ 
- レタス 
牧場の情景が眼に浮かぶようです。
詩を評論するのは苦手ですが、何度も読み返しました。
とても素敵な作品ですね。
---2024/02/28 13:19追記---

---2024/02/28 13:36追記---
- 陽向(2躯-30~35) 
おはよーございます
恋人の好意的なとらえ方ばかりの音楽界
そこに少しでも-のいたるところない
牛になることもあるのに
そんな気がします
- 本田憲嵩 
- 水宮うみ 
- soft_machine 
なんという絶妙、いつもそう思っています
- アラガイs 

食べてすぐ横になると牛になって川まで来ていた。これは私も癖になっているので非常によくわかります。~川まで来ていた。ということは転た寝状態でみる夢のようなものでしょう。~気がつくと隣には一緒に牛になった君がいて、川面の波紋を眺めている。この気がつくと~と置かれてあるのがミソでタイムラグを呼び起こしている。実はまだ夢見状態で、~一緒に牛になった君がいて~これは長年連れ添うパートナーのことを指している。長年というのも、ここに書かれている川面の波紋でわかります。波紋とは徐々に広がっていつのまにか消えていくものです。置き換えられて、これは二人の歩んできた時間のことだろうというのもわかる。喩を通してよく考えられている作りだとは思います。思うのだけれど、いまいちピンと焦点が合わない余韻も乏しい作りの読みになってしまいます。というのも~気がつくと~これは夢のなかの気づきだとすればこの語り手は冒頭からずっと同じ夢をみているわけですが、三行目、晴れたら洗濯をして~残っているものもない。この物思いに耽っているような状態だけ場面が異なるわけです。なのでこの空間に見て取れる夢のタイムラグがちょっとしたズレではなく大きく時間差を伴ってしまう。特に短くまとめられである作りの詩では、このような気がつくとか、いつのまにかとか、時空の省略を指すような意味づけは曖昧さも指すことになってしまうと考えます。なので私個人からみればこの三行目、晴れたら洗濯をして~の冒頭のほうが、夢の中のまた夢、この意図して複雑に置かれる混乱を、より読み取りやすく流すこともできるのではないか。とそう思った次第です。



- 唐草フウ 
 
作者より:
読んでくださってありがとうございます。

レタスさん、コメントありがとうございます。
詩を読むことは楽しいですね。
自分もコメントつけるのは苦手なのです。
読んだ思いを伝えられたら良いのですが。

陽向さん、コメントありがとうございます。
牛の世界もいろいろとありそうですね。

soft_machineさん、コメントありがとうございます。
絶妙、いただきます。
soft_machineさんの詩を読んだ時の思い、
何とかお伝えしたいのですが、言葉がうまく
まとまりません。いつも素敵な詩、ありがとう
ございます。


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