シグナル/由比良 倖
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ryinx 
- アラガイs 

超有名なアーティストの中にも自殺する人が多い。けれどアーティストだけじゃない。一見幸せそうに見える人にも悩みはあって、みんなギリギリのところで生きてる。死は無でもあると知る。生きたい。願望読めてきます。
- ジム・プリマス 
貴方には世界に冠たる、偉大な文明を気づいた縄文人の血が
流れています。そのことを精神の糧にして下さい。
 
作者より:
>アラガイsさん

生きていたいですね。あまり暗い人間ではいたくありませんし、
僕は普段は、家族や友人の前では、生死のことなどは、話題にしないと思います。

周りに気を使って、明るさを装っている人ほど、内面には孤独な、
とても暗い部分を抱えているのかもしれませんね。
誰もがギリギリで生きているというのは、今は、分かると思います。

風呂場で手首を切ったとき、最初は本当に天国が見えるんじゃないかと思うくらい幸せでした。
その内に、真っ黒な沼に引きずり込まれて行くような感じがして、
どちらが上なのかも分からなくなって、フィクションで書かれているような、
気怠い失血死は出来ないのだと知りました。
結局は、父が気付いて、応急処置をしてくれて、病院に連れて行ってくれたのですが。

以前は、天国を本当に信じていました。
これ以上はあり得ないと思うような、幸せな瞬間が時々訪れたからです。

自殺未遂のことについて書くのは、今は恥ずかしいような気がしているのですが、
何となく、詩の中で書かれていることは、作り話ではないと言いたいような、
幼い露悪趣味みたいな気持ちもまた、捨て切れません。

今は、ともかく、地味に勉強したり、新しいことを経験したいし、
もっと人のことを知りたいと思っています。
幸せというのは、今この瞬間、僕の中にも、誰の中にもあって、
あるとき、ふと自然に気付くようなものだと思っています。
死もまた、今ここにあって、人は孤独に死ぬのではなく、
死ぬというのは、同時に、孤独などあり得ないということに気付くことなのではないかと思います。
(僕の死生観や世界観は、本当にただの僕の感慨に過ぎないので、戯れ言として読み飛ばしてくれればいいです。)

皆、苦しいんだということを、昔よりずっと感じるようになってきました。
感じたからと言って、僕にどうにか出来ることは、ほとんど無いのですが、
せめては僕自身が、人に対して怒ったり、羨んだり、非難したりせずにいたいです。
人をやっかむことなく、他人の幸せを自然に願えるような人間でありたいです。
(コメントを逸脱して、自分のことばかりで、すみません。)

>ジム・プリマスさん

縄文人のことは全然知らないのです(すみません)が、
多分、温厚な人たちだったのではないか、と漠然と思っています。
全然違うかもしれないのですが。
争いを好まず、人のことをよく考える血なら、流れていて欲しいですね。

たまたまですが、次に投稿しようと思っている詩に、
縄文時代と言う語句を使いました。
何かしら、古代に憧れている気持ちはあると思います。
古代と未来が交わるような感情に、何故か快感を感じます。

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