詩が「わからない」とはどういうことか/室町
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

 釣り竿の針を投げて夜空の星を引っ掛けている。 まあ、それくらい詩は手応えも掴めないしわからない。興味を惹かれてからたかだか30年弱にしかならないけれど、詩はどこまでも詩ですね。果たして詩は詩として未来永劫に向けて生き残れるのか、これもよくわからない。わからないといえば外国人、特に欧米人ですが、昔アイスコーヒープリーズ!と言えば氷とホットコーヒーが出てきた。なあんていうのは最近ではもう笑い話しにもなりました。それくらい日本人の文化も浸透しているのでしょうが、日本人の表現といえば、やはり和歌があり俳句がある。俳句といえば季語。四季の移ろいでしょうか、最近では俳句もブームのようですがちょっと違ってきている印象ですね。何故かといえば四季の移ろいが体感的に明確ではなくなってきているからです。このブームというのもどうやら末期症状の開き直りにも読めてきます。欧米人の偉人たちが遺してきた偉大な詩も実のところよくわからないのが真実でしょう。なぜなら翻訳を通してしか読めていないし、外国人とは意味の捉え方も感性も少し違う。でも、でもですね。詩も文学芸術なので読めないところが通じるわけですね。音楽や絵画と同じくです。
長く詩に興味を持っていると書く意味も失いがちですね。これは実のところ皆さんもそうでしょう。他人に読んでもらえる。そして共感を得たい。自分の癒しのために、、等々、このような意思もまた時間の経過とともに減少してしまいます。否、いや、違う。もちろん反論される方もおられるでしょうが、何故書いているのか。書く意味がわからなくなる。 そう言いながらも、僕は今日も餌を付けずに釣り針を海に投げて奇跡を信じているわけです。実にお目出たいことですが、一旦魔物に惹かれたからにはもう取り返しも尽きません。他に喜びを見出し、お金持ちになって情けない自分とおさらばする。そして点と線がひっかかり合うまで興味を持ち続けることでしょう。  いい読み物でした。敬具




---2023/06/24 18:16追記---
- 本田憲嵩 
吉岡実は最初ホント訳分からんかったです。
そのせいで現代詩アレルギーになってしまい、しばらくのあいだ現代詩は敬遠しておりました。
その詩がじつはものすごく面白いものだと気づくのに、かなりの時間がかかりましたね。

現代詩をまた読み始めたきっかけは高橋睦郎の詩でした。
そこから谷川俊太郎とかよみだして。
自分語り失礼いたしました。

- 足立らどみ 
- 石村 

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