今日は土曜日/坂本瞳子
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

この独白は一気に朗読するように書かれているので流されるように詠ませていただきました。
少しだけ読後感を考え感想を。
冒頭から二行目の~自分が一番驚いていた。そして八行目かな。~自分の胸の中で~この自分を私とされてみてはいかがでしょうか?その後は自分~でもよろしい。
なぜ使い分けをしたほうがいいのか、と申しますれば、自分と置かれれば、より客観性を帯びて読者には伝わってくる、ということですね。冒頭から自分とされれば読み手には過去形の印象を与え、この語り手よりも作者(その涙の要因でもある他者)が強く意識されます。これが句のような極端に短い文章ならばそれでもいいのでしょうが、語り手と読み手と作者という文想を詩という立ち位置の時間差で捉えたならば、これは使い分けられたほうが読後感は余韻を伴い伝わってくる。と私どもは感じるのです。
追記。些細な違いですが、詩というのはその繊細さが大きな違いにも成り得ると、思えるのです。

追加
一気に詠ませているのに何で時間差とか?
不思議に思われるかも、と考え追記を。
詩の中ほどですね。~冷たい風が吹きつけた そんな~
ここに時間差としての空間を感じるからです。つまり連と置かれてもいい。そのような文の流れだと思えるのでした。




---2023/03/25 01:25追記---

---2023/03/25 07:08追記---
 
作者より:
アラガイsさん
ポイントと詳細なメッセージをありがとうございます。
「私」とか「僕」、「俺」などなどの一人称、どれを使うのがいいかを迷って「自分」を使用する傾向があります。
頂戴したご指摘を留意し、今後も精進いたします。


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