室内/石村
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ひだかたけし 
これは やはり、スゴいなあ!
- 墨晶 
- 秋葉竹 
- ツノル 
---2019/03/25 01:01追記---
目的の違いはあるにしても、道具には削らなければ使い途もなくなるという結果が必然的に存在する。それは肉体的に身を削るという行為に、その魂までもが同化してくるのが必然的であるように。
鋭角に置かれた物体には、時の酸化とともに必ず朽ち果てるという結果が待ち受けている。わたしは風化した記憶の中で予見する。削られ蓄積した魂の欠片が塊となり、いまもこうして空間の中で彷徨うのを。
モノを削るという能動的な行為が、ここでは匂いという室内空間を意識した象徴で記憶に置かれた。それは家族を想うというその記憶の霊魂によって受動的な思考目的にも変わる。物体や物質という存在の記憶を、観念的な操作で象徴的に捉えた優良作です。
---2019/03/25 01:52追記---

---2019/03/25 01:53追記---

---2019/03/25 02:15追記---

---2019/03/25 02:18追記---

---2019/03/25 02:21追記---
- st 
- 一輪車 
春を感じました。青春の萌芽ですかね。
- 帆場蔵人 
- 豊嶋祐匠 
- るるりら 
- 梅昆布茶 
- オイタル 
とても素敵な詩だと思います。
モノクロの映画の一場面のようです。少年の部屋の室内を映しているカメラの位置。亡くなった姉は、なぜこんな変なことをして帰ったのか、とはじめは思いました。物差しを刀みたいに振るなんて、詩的ではないと。でもわかりました。姉は随分と以前に亡くなっているのですね。だから、少年が12歳前後だとすれば、姉は小学校に入るか入らないか、なのでしょう。なぜ、亡くなった姉が現れたのか。これもわかりました。低気圧が近づいているからです、きっと。語り手はだれなのか、とずっと考えています。
- ねむのき 
- こたきひろし 
- あおいみつる 
- 立見春香 
- 朝焼彩茜色 
- もとこ 
- 秋良 
- 白島真 
- 杉菜 晃 
- la_feminite_nue(死に巫女) 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 足立らどみ
以下、感想です。

自然現象の変化を肌で感じて、ダイヤモンドと同じ
炭素の鉛筆の芯を用意している少年は過剰反応とは言えないのが、
現在社会だ。木の匂ひは必要ない!

羊羹を切り終へた母のやり方では、まだ、ダメなのだ、足りないのだ。

亡くなつた姉が行動したことで、万事うまくいったのか。
後は、神のみぞ知る世界だ。

そう捉えると、現在社会において、工業用ダイヤモンドをまぶした物を
魔力の力まで導引しなくてはならない、慎重に切らなくてはならない
羊羹は、一つしかない。

残念なのは、対応出来る工業用ロボットが、なかったことだ。
その現実が夢物語の中まで影を落としている。
 
作者より:
貧しい作に目を留めて下さった皆様に深く感謝致します。

ひだかたけし様、過分のお言葉恐縮ですが、励みに致します。有難うございました。

ツノル様、力の籠った御評有難うございます。小生の作を褒めて頂いたのは初めてのような気がします。素直に嬉しいです。励みにさせて頂きます。

一輪車様、肉感性を生み、それを官能性にまで近付けたいというのが本作での野心でしたので、大変嬉しいお言葉でした。有難うございます。

オイタル様、懇切なご感想を頂き有難うございます。作品から「語り手」がどこまで消えられるかを目指して書き続けています。理想は読者自身が読みながらにして語り手になってしまうこと、なのです。

もりのりす様、過分のお言葉有難うございます。小生にとっては昭和の田舎の風景が常にリアルな風物です。なかなかうまく書けたことがないので、大変嬉しいご感想でした。

森田拓也様、懇切なご感想有難うございます。昭和初期もそれ以前もリアルタイムでは経験していませんが、どういうわけかその辺りに自分の原風景があるように常々感じています。平成はリアルタイムですが、私にとってリアルではありません(笑)

らどみ様、ご高覧有難うございます。今日読んだ本について日記に批評を書く、という習慣は今や廃れたようですが、ちょうどそのような文体で書かれたご感想を頂いたことを嬉しく思いました。自分の書いたものが読み手の生活の中に入り込んだ、ということでしょうから。

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