瞬く間に/ただのみきや
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- しょだまさし 
- 白島真 
物の見方、考え方は見る視点によって変わるけれど、
「残された者は茫々と」悲しみの歴史を作っていく・・・・。
- 梅昆布茶 
宗教で自縛と自爆をしないことが
せめてもの願いです。
- レモン 
- Lucy 
ひとつの事象が同時に二つの真逆の意味を持つ(付与される)
一方的にその一面を狂信(あるいは強制)することから、殺戮は正義に変換するのですね。
簡潔な表現が読者の思考を促す、魅力ある詩だと思いました。
---2016/12/15 10:22追記---
- レタス 
- ヒヤシンス 
- 間村長 
- そらの珊瑚 
宗教ってなんなのだろう、それは時折思うことです.
無垢であることと無知であることの違いとか。人が幸せになるためにあるのが宗教だとしたら、あまりに無残です。
---2016/12/16 11:25追記---
- りゅうのあくび 
---2016/12/16 19:04追記---
宗教の冒涜の極みが、数多くの命を失わせる惨劇。傍観しても、歴史だけが繰り返すのか?ということもあると思いました。命やお金で済ますことができない時、言葉や行動で済ますことができるのかどうか?そこに問題点があります。
---2016/12/16 23:38追記---
その辺に改めて気付かされまして、感謝です。人間は事情がある生き物です。不可解だけでは、割り切れないネット記事を目にしまして、自爆テロを操る人間ですらいることを改めて見て考えさせられました。実に怖い話でした。ただ戦争が始まるだけでは済まない話しだろうなとも思ったのです。深い闇があるニュースには、やはり事情もありますね。この詩は鋭い視点だと思いました。
---2016/12/16 23:55追記---
- るるりら 
大統領選挙を受けてお書きになった「さようならアメリカ」という作品のコメント欄にて

> 良いように見えて思ったよりずっと悪いよりも
> 悪いように見えて少しは良いことがあった方が、もしかしたら。
> 大統領云々を越えて。
  
↑と、私に 言ってくださったことが 心に残っています。
良いように見えて思ったよりずっと悪いことは、世の中にはあるし
悪いように見えて少しは良いことのこともあると思います。

この詩で 対立させて表現をしておられる二つのモノの見方についても、それが 言えると 私は思いました。

たとえば、ジハートを 日本語で「聖戦」と訳されることが多いけれど、厳密にいえばソレは、正しくないと聞いています。殺人は一番罪であり、ジハートはうつくしい心の有り様であるのにと 敬虔なイスラム教徒のみなさんが 悲しんでおられるインタビューを 聞いたことがあります。

また、別の例では
先日 テレビ報道を見てましたら、パリで惨劇のあった劇場の再開記念ステージの様子がありました。そこで スティングさんが Inshallah♪と、高らかに歌っておられました。
Inshallahとはアラビア語です。「 全てアッラーの思し召し」とか「なるようになるさ」というような意味だそうで アラブの難民の心情を歌った作品との紹介されていました。

ふたつの対立するモノの見方が確かに あるけれど、
世の中が 短絡な方向に傾くことをくいとめる対話しあう心や 友好的に作用する知恵が、
きっと 色々と あるはずだと思います。



- 吉岡ペペロ 
- 田中修子 
のこされたものだけが本当なのが悲しい。
 
作者より:
 読んでいただきありがとうございました。

 しょだまさしさん、ポイントありがとうございました。

 白島 真さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 自爆した方も殺された方も残された家族はつらいでしょうね。

 梅昆布茶さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 そうですね。

 レモンんさん、ポイントありがとうございました。

 Lucyさん、ポイントとコメントありがとうございました。
 そのように読んでいただき嬉しいです。

 レタスさん、ポイントありがとうございました。

---2016/12/16 21:56追記---

 ヒヤシンスさん、ポイントありがとうございました。

 間村長さん、ポイントありがとうございました。

 そらの珊瑚さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 そうですね。宗教を自己実現のための手段、自分たちの行為を正当化するための、
 神からのお墨付きのように悪用する人はいなくなることはないでしょう。
 
 竜野欠伸さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 そうですか。

---2016/12/17 17:51追記---

 るるりらさん、ポイントとコメントありがとうございました。
 そうですね。そのような知恵はあると思います。ただその知恵を実際に用いて
 和解や平和をもたらすに至れなかったのがこれまでの大まかな事実だとも
 思っています。そして平和への努力はこれからも続いて往くでしょうし、
 相変わらず戦争も続いて往くことでしょう。
 この詩は価値観や思想の「違い」が意図ではありません。むしろ一瞬にして
 沢山の寡や孤児、子供を失った親たち、それら残された人々の時が止まったような
 悲しみは、自爆したテロリストの親も、殺された人々の家族も「同じ」だということ。
 どれほど価値観、正義、宗教、ものの味方の「違い」があっても、この悲しみだけは
 「同じ」だと思うのです。そしてこの悲しみを憎しみや怒りに変換する限り
 和解も平和はありはしませんが、もし自分の喪失の悲しみを他者の中にも認めることが
 できるなら、ほんの少しだけ慰めという名の平和の前味があるのかと思うのです。

 吉岡ぺぺロさん、ポイントありがとうございました。

 Syuuko Tanakaさん、ポイントとコメントありがとうございました。
 そうですね。残されたものが真実で人がそれを様々に解釈しているのだと思います。

 
 
 
 
 
---2016/12/17 18:25追記---

---2016/12/17 18:26追記---

---2016/12/17 18:27追記---

---2016/12/17 18:28追記---

---2016/12/17 18:29追記---

---2016/12/17 21:31追記---

---2016/12/18 12:40追記---

---2016/12/21 17:05追記---

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