晩夏だったはず/飯沼ふるい
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

某サイトであなたの詩作品は評価が高いので、どこがいいのだろうかと眺めていましたら、どうやらこの作品でそれが理解できた気がします。
一つ読み方を間違えれば奇をてらったような饒舌さに眼だけを奪われる作品に読めてくる。諸刃の剣のように危うい語り口ですが、いえいえ、その独特な文体脈筋だけではなくタイトルも含めてよく考えられています。 この一連の終わりに主題でもある野原を持ってきたのがタイトルの問いかけに応えていますね。このタイトル「晩夏だったはず」の自らへの問いかけがなければ、いきなり冒頭の入りも活かせなかったでしょう。内容は子供を中心とした生活の周辺が追想されています。電車や乳母車、また赤子に纏わる語りなどは童謡に照らし合わせ作者が想起に込めた、暗澹たる喩え話でしょう。ここに書かれた童謡「はないちもん」めや「かごめかごめ」などは様々に秘められた喩え話を含むと言われています。(はないちもんめ)から(かごめかごめ)への移乗、それは主に哀しい歴史の物語だったりします。この動きのあるうたから制止を意味する昔の遊びうたを、ここに描かれた追想と比較してみると「野っ原」とは、今日日々進んでゆく過疎化の状況や子供たちの姿もない街の遊び場、またはあれ以来日本の状況を一変させた、あの震災の傷跡が浮かんで読めてもきますね。もう少し詳しく砕いてみたい作品ですが、素晴らしいと思います。



- 深水遊脚 
 
作者より:
アラガイさん
ありがとうございます。
ここでこんな丁寧な批評を頂けるとは思いませんでした。
震災に遭った県で産まれてそのまま居ついていますが、そのようなことは考えもしていなかったので、詩を読むことの奥ゆかしさに驚いています。
同時に、なにかにつけ震災や原発事故に結び付けて考えなくてはならない時代なのかなと思うとやるせなくもなります。

戻る Home
コメント更新ログ