宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために/Sabu
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- Giton
お返事をしなかったのは、これ以上このテーマについて議論を続けることが実りある結果をもたらすとは思えないからです。

ご高見は、私が「ことさらに「宮中」、「怪異」、「轟音」、「暴力」、「タブー」といった連想を引きあいにして、「神楽」や「口碑」の遭難譚について解釈をすすめている」との偏見に基づく“揚げ足取り”であり、誹謗中傷であって、そのような前提でお読みになっているための誤読としか受け取れません。

私は、「下書稿の『口碑』にある遭難事故が『人々がそれを隠蔽しようとする』出来事であったととらえています。」とは捉えておりません。「遭難事故を社会的に隠蔽する」というようなことがあるとも考えませんし、そう書いたこともありません。これは誤読です。

鉱物学での「相転移」は解りますが、「下書稿の『口碑』等に記された具体的な素材(賢治が見聞きし、記した体験)」が「『神楽』という象徴的な言葉に相転移した」というお説が、私には理解いたしかねます。ただ、これは見解の相違ですので、批判として言うものではありません。

なお、これと、私のアップした(付)は、ファイルから外させていただきます。批判応酬であって、賢治作品そのものを主題として論じるものではないと考えるからです。

今後はぜひ、他の作品について、他人を誹謗することを目的とする“揚げ足取り”ではなく、ご自分の解釈を中心に論じたものをお寄せください。

そのような真摯なものであれば、私の読み方と違っていても、歓迎いたします。
---2014/11/18 20:16追記---
 
作者より:
Giton 様

私の文章を現代詩フォーラム上で読み、「良い」と認めてポイントを付けてくれた第三者の方がいるということはご存じと思います。私の知る限り、苦情や警告もありません。

この賢治作品に関する「討論」の場の開設者は貴方かもしれませんが、私の文章が現代詩フォーラムを通してアップされた時点で、それは第三者に向けて公表された作品となったものです。それを、独断で削除するという行為がどういうことを意味するか、おわかりですか。私は、この場が、賢治作品の分析と鑑賞に関心のある人々に向けて、開かれた場であると思って投稿しました。削除した論(作品)を、すぐに元にもどされることをお願いします。   

ご自分の書いたものに自信があるのでしたら、誤読かどうかの判断は第三者の読み手にまかせればよいことです。私は、あなたとは異なる解釈と鑑賞を率直に述べたまでで、不毛な個人攻撃が目的ではないことは、文章をお読みいただけばわかるでしょう。「雪峡」作品に関するこれまでの貴方とのやりとりは、異なる見解が並んだだけで、批判の応酬というようなものにはなってはいません。

あくまでも「討論(自由参加)」の場であり、「どなたもご参加ください」と呼びかけるサイトであるなら、一度アップされた論(作品)を、気に入らないからといって誰かが後日一方的に排除するようなことがあってはならないと思います。 2014/11/15(Sabu)



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