小説における文体の問題/yamadahifumi
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

物語は時代を写しとる鏡などとよく言われますが、当然優れた作品にはその時代を超えたものが感じられます。
今や映像だけで世界が手に届く社会。間接的な情報は誤謬をも撒き散らす。変容の限られた薄い時代だからこその問題も必ずや存在するように、その着眼点は独自に深く掘り下げてみつめ直してみる必要性はあると思う。文体とは、そうしてみてはじめて投影もされるのではないだろか。
※現代詩は人々から離れ見向きもされない。詩書きにとっても読まれる作品はほとんど似たようなものばかりでつまらない。それはまさにあなたが文芸で述べられているように、詩が学問であるかのように扱われてきたからだ。
文学と詩に於ける曖昧な距離の相違を考えるとき、詩はより身近な存在でなければならない。詩はけっして学問とは為り得ない。




- アンドリュウ 
- こひもともひこ 

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