人間失格が優しさ意味しているだろうか/
ドクダミ五十号
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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夏美かをる
メッセージ伝わりました。
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哭翁
暴力が悲しいのは、優しさだけじゃその悲しさを理解できない痛みだから。
もし、暴力の無い世界を人間が築いたら本当の優しさが忘れられてしまう。
当たり前になってまた暴力を求める小脳。
こんな持論。
いい問いかけの詩ですね。
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石田とわ
優しさもまたひとつの暴力であるような気がします。
でも暴力は優しさではありえない。
そんな思いを抱きました。
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そらの珊瑚
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HAL
直球を投げられましたね。
ドクダミ五十号さんも人間を信じておられる。
そこに強い共感を憶える作品でした。
追記:間隔が空いてしまいました。
戻って作品を拝読するとなりますと
かなりの作品数になりますので、
この作品からということで
申し訳ないのですがご容赦下さい。
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梅昆布茶
同意。
物事は優しさの範疇で解決するしかないのだと思う、
暴力がもたらすものは次なる紛争でしか無い。
ボブディランから学んだ事。
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ただのみきや
作者より:
多くのお答えに感謝致します。
複雑な人間だからこそ、意見は多いのだと。
問いかけを詩人として続ける理由がそこにあります。
一つゝの答えを、庭の草木の葉の様に拾うのです。
あまりに不毛な行為であると定義されます。
愚かなる挑戦だとは思います。
然しながら止められないのです。
自分自身と世界を結びつける行為ですから。
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