【批評祭参加作品】まど・みちおの戦争協力詩/石川敬大
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- るるりら 
- 乱太郎 
- アラガイs 
感銘いたしました 。



- ……とある蛙 
まどさんの矜持
- 小川 葉 
僕の場合は、全戦必勝の職場には、
詩などという甘ったれたお花畑はすべて否定しているわたしがいます。
そして家に帰れば、休日になれば、うってかわって甘ったれた詩人のわたし。
そういう二面性を持ち備えています。
それが現状です。詩を否定する。詩を肯定するために。
今日わたしは何人の人を殺したのでしょう。
そう思えばこそ、詩を書きたくなります。
いつか詩に書かれる対象になる日もくるかもしれませんが、
書けるうちには書いておきたいと思います。
明日もまた何人か殺さなければなりません。
わたしが生きるために。
わたしの家族を守るために。
生きるということは、とても嫌なことです。
---2011/03/07 22:55追記---

---2011/03/07 22:55追記---
- 乾 加津也 
いつでも謝罪できる人でありたいと思いました
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ふるる
『西條八十』筒井清忠著を読んで、教師であった西條八十が身を切られる思いで教え子を見送ったこと、その子供たちを少しでも励まし、称えるために、自分のできることとして、沢山の戦いを鼓舞する歌詞を作ったことがわかりました。新聞社の要請で戦争現場にも行き、勝てないことも分かっていたけれども、覚悟を決めて作詞を続けました。結果、「戦犯追放者名簿」に最後まで名が残った一人でしたが、逃げ隠れしなかったことも知りました。
これを話半分に聞くとしても、戦時下詩を書いた詩人の中には、本気で戦争に賛成したのではなく、戦いに行く人の心のために書いた人も多かったのではと推察します。
詩人では、高村光太郎が愛国詩や戦争詩を書くことになった経緯やそれ含めてのもっと大きな「何故日本の詩人は時事に迎合せざるを得なかったのか」の論考が、同人詩誌『gaga』no.7 2009.4版 「評論 日本と西洋の間で 高村光太郎の「愛国詩」・「戦争詩」への転位を巡って」戸谷崗 著 にて大変詳しく論じられています。機会がありましたらご一読をお勧めします。

 
作者より:
mixiの日記で発表したものを採録しています。

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