すべての言語は理解不能である。/ななひと
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 伊藤透雪 
脳が違うんだから、当たり前、と私は養老孟司氏の言葉で
納得しています。それも自分の受け取り方でなんですよね。
ロボットのように同じ情報をインプットしていけば同じ答えが
でるような、そういう風にはできていない、だから面白い。
私はそういう意味で相違を楽しんでもいます。
- 安部行人 
- たのうち 
- 佐々宝砂 
それでも楽しけりゃいいのではないかと思ってみたりする。
- 石畑由紀子 
 
作者より:
伊藤透雪 さま
まさにその通りです。相違を楽しむ、という方法もあるでしょう。
というか、この論文は、伝えたいことがある→言語→相手の言語→相手という図式を用いている意味でかなり時代遅れです。
読み手がどのように詩を「読んで楽しむ」かについてはこれから書きます。

佐々宝砂 さま
伊藤透雪さまのコメント、そして前回の佐々さまのコメントにあるように、この一連の論考は佐々さまの「ポエム派宣言」に対する私なりの考え方にもなっていきます。「楽しければいい」。その「楽しい」とは何なのか?『現代詩手帖』の読者と、ポエムの読者では意味が違う。そのことについて書こうと思っています。

---2007/03/23 15:46追記---
相田 九龍 さま 
にょ?ちょっと意味がわからないのですが、お上げになったリンクは私の作品一覧じゃないですか?意味が「わからない」(謎笑

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