○ねという言葉について/ふるる
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 太郎本人 
- ぽえむ君 
- もこもこわたあめ 
言葉がどんどんその意味を希薄なものにされていってる感は
あります。
一方で、言葉は生き物とも解釈してしまっている所もありますが

難しい問題ではあると思いますが、ひとつの心がけ
言葉の重さを伝えていきたい。
- 銀猫 
厭なフィーリングですけれど、ある種流行なのでしょうかね。。
生命を存続する、しないは壮絶だったり感動的だったりするものですが。
生きたくても生きられぬ人がいたり、死にたくても身体が動かなくて(生命維持の機械に繋がっていて)もう自分の意思で死ぬことも叶わない、そんな人たちと接する環境に居たこともあってわたしも●ね!という言葉や自傷関連の言葉には嫌悪感を抱いてしまいます。
ふるるさんに共感するところが多かったです。
- ソティロ 
ぼくは「てーしせよ!」と言って、その日の夜とかにほんとに相手がてーしした場合を、その負債を考えてしまって、こわくて、幼い頃は冗談でも絶対言わないようにしてました。今もですが。

なんつか言霊みたいな感じで。こわいです。
- A-29 
<息子が友達の集団とすれ違った時にその中の一人が息子に向かって「よっ!停止せよ!」と言った>
これって「友達のママ」って存在にまで意識が向いてないってことでしょうかね。「ママ」の存在も、「ママ」のリアクションも見越した上でのそれらすべてをおとしめるための「よっ!停止せよ!」なのか。あるいは「ママ」がいたからこその「よっ!停止せよ!」なのか。「ママ」がいなかったら、なんと言ったろうか。友達は「停止せよって言うなーーーー!」と「ママ」にいってほしかったのか。それとも彼はもはやそんなタマではないのか。または息子さんの解説のとおりそれはすでに単なる今時の冗談に過ぎないのか。うーん…。ありゃりゃ、長々とすみません。
- 千波 一也 
 
作者より:
芙雨さん そうですね、それを言っちゃあおしめえよ、と思います。
それが言える感覚というのがどうもよく分かりませんが・・・・
例えば本気で憎んでいる人がかつていましたが、その人に向かってその言葉を使おうとは
思わなくて。
やっぱり対外的なもの、誇示なんでしょう、何かの(自分はこんな言葉を吐かずにはいられないほど傷ついた、とか孤独である、などを甘えて言いたい?)と思うしか。

白(shiro)さん ショックですよね。誰だって。
すごく傷ついた人がいて、手負いの獣は何にでも噛み付くのだ(たとえ話ですが)、ということじゃないのかと思いました。

('@.@`)さま そうですね、びっくりすると急に動いてしまいます。
子どもが小さい頃、あんまりすごいいたずらをされるとびっくりして叩いてしまい、後で自己嫌悪、ということがありました。(だって目の前でいきなり蛾を2,3匹放された日には・・・)

haluさま 気がつかないことや知らないことは沢山ありますね。今朝も知らなかったことを知りました。

もこもこわたあめさん
何か、体験と言葉が離れていっているような感じですね。
私も、言葉は生き物だと思っています。人に寄生する。人がここまでやってこれたのは、言葉が宿主を失わないために頑張っている・・・。とか思ったり。
そうですね、重さ、言葉の後ろにあるもの、背負っているもの、軽くはないはずですね。

銀猫さん
流行っていますねー。これが普通になっちゃったら、どうなっちゃうんでしょう。
銀猫さんの方が、身近に体験していらっしゃったのですものね。ありがとうございます。
---2007/05/04 16:51追記---

オリトスさま
ほんとうにそうですね。言霊はあると思うので、怖いです。

A-29さま
多分、私のことは気づいていなかったと思います。色々なケースが考えられますね・・。

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