自立はいいことかどうか/ふるる
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 銀猫 
私も子供時代を三世代同居でワラワラと暮らしていました。
そのうちに結婚したり亡くなったりする家族もいて、嫌でも離れ離れになって行きました。
そうしたとき、一人で物事を正しい方向に判断出来たり、他人に迷惑をかけないようにしたり、思いやる心を持ったり、ということが必要に迫られて来ましたね。
若い頃は血気盛んに、一人でも生きられること(というより生活できること)に憧れ、そうなれるように挑んできましたが、現在はどうか。
親が病気になれば介護なり心配なり、手助けとなることをする。また逆もありです。
ひとり立ち、というのは精神力を養うことで、けして甘え合ったり、じゃれあって笑ったりすることを否定するものではないと信じたいです。
ふるるさんの優しさ溢れる文章にはとても共感するものがありました。
(まとまらないコメントで申し訳ありません)
- 川口 掌 
家族と言う単位だけで無く地域社会全体が自立(孤立)を、(良い悪いは別にして)目指している。そんな気がします。
- ぽえむ君 
- FUBAR 
マザコンでありー、
シスコンでもあります
- 佐野権太 
- さち 
付かず離れず、じゃなくて付いて離れて。
ま、フラフラして。

「自立」って、人が言うことじゃないように思います。
「自分で立っている感覚」があることだと。

あ、大雑把な書き方過ぎて変かな・・・?
- 千波 一也 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 田代深子
「自立」という言葉は最近では「障害者自立支援法」とかの影響で、なんか無茶な要求、というイメージがつき始めているけれども、そういうことじゃないんじゃないかと思います。
 たとえばわたしは親元に独身者として暮らしていて、家事を任せて仕事をしていますが、親も自分も自立した存在であると考えます。自立というのは、各個が完全無比な生命体であれ、という意味ではないと思います。人間ですから、どんなにちゃんとした人でも病気になれば動けないし、ひどい目に遭えばひどい気分になって大酒飲んで帰れなくなって車で迎えに来てもらったりする。問題が起きたとき誰かに助けてもらうのは、自立していないということではないでしょう。
 わたしは30代半ばを過ぎるまで、それを理解していませんでした。「自立」しなければならない、誰かの世話になったり負担になったりしてはいけない、そんなことを期待することは恥ずかしいと思っていました。しかし、まぁそれは無理なことでして、人間もぎすぎすするし、人の弱さも許せなくなって、かえって生きにくい状態になってしまう。だから、ゆるく頼ること頼られることは、人間のあたりまえの属性なんだと思うようになったのです。直接効果のある働き(たとえば経済活動とか家事とか)ができなかったとしても、なにがしか精神的な影響をもたらすし、ともにある、ということだけでも、互いの存在が「立つ」支えになっているはずです。
 ふるるさんの、ひとの生活力に対するお考えは、わたしと同じくらいのゆるさ加減なんだと思うのですが、話を家族・親族に固定しているところがありすぎかと。その考え方は、ちょっとこわい気がしました。家族・親族は最も身近にいるし、いるべき、と思われているし、切りたくても切れない相手ではあるし、好きじゃないやつもも家族だと何とかうまくやっていかなくちゃならないし…人間に幅を持たせてくれるわけですが(笑)しかし「自立できない人間は家族・親族でなんとかしてやれよ」「自立できない育て方をしたやつが責任とれ」みたいな話になってしまうと、それも困ったことですよね。もちろん ふるるさんも、そう言われたら「そうじゃないだろ」とつっこむと思うのですが。家族単位での自立だって、基準は考え直していいと思うし。たとえば、発達に問題のある子どもを育てている、両親のいない独身女性がいたとしたら、彼女はどうやって生活していくのでしょう。遠い親戚に頼るよりは、身近な他人との相互関係や、なにより公共の扶助に頼りたいですよね。適切に、適切な相手に頼り、ときに頼られて見返りなく助け、互いに難しいなら難しいなりの生き方を模索する。その心持ちのありようを自立と言うのではないかと。
 もっとも、その「前向き重視」を「効率主義」として批判する声も、わからないではないですが…わたしやはり、「自立しない」をエゴイスティックな精神状態でひたすら肯定しようとする人には、腹が立ってしまいますよ。だってそれは「自立」するしないの問題ではなく、周囲の人の状態に対する思いやりのなさですから。

>ふるるさん ご返信ありがとうございます
 ふるるさんのご家族の状況を具体的に知らないので言及は難しいところですが、ご家族と ふるるさんの間に了解と思いやりと、もちろん ふるるさん自身の体力・気力があるならば、べったり頼るのもありだと思います。
 たとえ話ばかりで恐縮ですが(わたしはわりと難しい状況から考えるのが癖なので)、寝たきりの親を独身者の子どもが世話しているとして、子どもが親に「がんばって経済的・精神的に独立してくれ」とは言えないわけです。ではしかし、老いてもう一人では動けなくなったとき、私たちの「自立」とは、どういうことになるのでしょう。それはあり得ないことなのでしょうか。また、社会生活上でハンデキャップをもった人たちやそのご家族も、考えておられることだと思います。「その人の自立」とは、どういうものなのか。
 逆に、身体が通常の働きをし、心身の健康に問題もなく、教育を受けていても、「経済的・精神的に自立していない」生き方とは、どういう生き方なのか。周囲の人の気持ちはどうなのか、それは悪いことなのか。
 考えちゃいますよね。

>ふたたび ふるるさん
身体が通常の働きをし、心身の健康に問題もなく、教育を受けていても、「経済的・精神的に自立していない」生き方……これにはですね〜やっぱり場合によっては「自立せい!」って言ってもいいんだと思うんですよ、わたし(笑) まぁ、お金に困ってない家族が一生大事にするならね、問題はないと思いますけど。でもなんか腹立たしいですけどね〜 ずるいっつーか…そんな余裕あるなら、せめて探偵業とかすごい詩を書くとかして、貴族的社会貢献でもしてほしいじゃないですか。そうすると、ああ、それも自立なんじゃないかな、って(笑)
給食費を払わない親って、わたしもテレビで見ましたけど、お金に困ってなくて、「気分」って言ってましたね〜 それはただいい加減なだけですよ。怒っていいですよ。
 
作者より:
相田 九龍さま
コメントをありがとうございました。コメントを読んではっと気がつき、少し書き加えました。日本で、西洋の「自立」の意味を履き違えたところから無理が生じているのかもしれません。「日本で」、って「私が」、ってことですが・・・。
中国では、みんな母親と離れないから「マザコン」がない、というのではなく、成人した息子が母親と手をつないでも「マザコン」とは言われない、日本的な考えで、「母親と仲がいい=自立していない=マザコン=良くない」という考え方がないようです。

銀猫さん
こちらこそ、優しさ溢れるコメントをありがとうございます。少し変えてしまったのですが、主旨は同じです。べったりは良くないと言われるけど、それは本当にべったりなのか、本当によくないことなのかな?って思います。一人でって絶対に生きられませんもの。

like Kさん ホルモンバランスって面白い見方ですね^^伝統とか慣習に固執しすぎもよくなく、やっぱりバランス大事ですね。

川口 掌さま 地域社会も言われてみたらそうですね。夕張市のことを思います。あそこまで行く前に何とかはできなかったのか、と思いました。

芙雨さん そうですね、後からはなんとでも言える、というのはありますね。理想の距離って状況によって変わるんでしょうが、考えていきたいです。たまに考えすぎるなよーと言われます。ありがとう^^

みさと様 そうですね、いいか悪いか、の見方だけだと苦しいです。きっともっと混沌としていて、またその状態であるということは他に道がなくて、今は一時的に・・・ということかもしれませんしね。

FUBARさま 私もシスコンです^^

田代深子さま
コメントをありがとうございました。
確かに今こだわっているのが「家族が精神的にも経済的にも自立してない家族の面倒を見るのはいいかわるいか」なのでちょっとエゴでひたすら肯定ぽかったです(笑)それを悪いと思ってしまうと面倒を見ている自分が苦しいので・・・。苦しいなら自立させりゃいいじゃんと言われても、それが困難なことこの上なくて。経済的には限界があるとしても、精神的には本人の努力次第でなんとでもなると思っていたのですが、本人にそうさせようとしても、昔からそうだからもう無理、みたいな感じです。
そうですね、あんまり頼っていいんじゃんと言い過ぎるのも・・・家族だけでなんとかしろよっていう風にとられちゃいますね。
「自立」というのはいざと言う時に家族や他人や国に頼れて、人に頼られたらできるだけのことをできる心の状態、の人、というのが本来の意味なのでしょうが、一人一人の状態によって、何を自立と呼ぶのかは色々なんだと思いました。いいかわるいか、何が自立で何が自立でないか、ではなく、思いやりがその周囲や状況や状態にあるかどうか、ってことなんですよね。。。

>田代さん こちらこそ、ありがとうございます。


私事について、優しいお心遣いをありがとうございます。
老いてもう一人では動けなくなったときや、ハンディキャップがある時の場合を考えたら、「自立」は社会ぐるみでなされるものだと分かりました。寝たきり、ハンディキャップを持つ個人でも、経済的には無理でも、精神的には思いやりを持ち、嫌なことは嫌と言える、頼ったり頼られたりできる、大人な人という意味での自立は可能ですが、脳に障害があったり、痴呆症の場合、そうでないことも多いでしょう。
その場合、その人たちを社会が援助し、受け入れ、その人たちの存在の意味を大きなものと捉えられるかどうか。「自立」というのは個人じゃなく、社会の状態なのかも。
(あ、社会は結局個人の集まりなんですが・・・。)
鳥だって、自然という大きなお母さんがいてくれるから、巣立つことができるのだし。
逆に、身体が通常の働きをし、心身の健康に問題もなく、教育を受けていても、「経済的・精神的に自立していない」生き方の人は、もしかしたら心の翼がまだ飛びたてるほどにはなっていないのかもしれません。それは見えませんし・・。あるいは、やっぱり社会が厳しすぎる(幼すぎる?)のか・・・・。個人が自立するには、まず社会が自立していないといけない。でも社会が自立するためには、個人が・・・・卵が先か、ニワトリが先か。
うーん、考えちゃいますね。
今の社会、バリアフリーにしても、難病の認定にしても、各種医療補助制度の手続きのわずらわしさなど、とても弱者(って社会が勝手に決めてるだけですが)に優しいとは思えませんし、給食費払わない親がいたりして・・・・もー何なの、何がしたいの、って思います。

>またまた 田代さん

そうですよね!怒っていいんですね!ここから先は雑談なんですが、いいですかしら・・・。
またまた身内の話で恐縮ですが、私のいとこがすごくって、いい年して何でも親の手助けありなんです。女の子のいとこは浪人して短大に入って留年して卒業後は親の会社の事務員に。今年36歳ですが趣味はパチンコで結婚するは気ゼロ。男の子はえらく長い間アメリカの大学に在籍し、帰国後は親の会社の社員に。結婚後は親が決めて買ったマンション暮らし、実家に遊びに行くときは親が迎えに来てくれるそうで。それでも自慢の息子(英語が喋れるから)らしいんですよねえ。まあ人それぞれの人生でいいんですが、聞いててムカムカします。名探偵になるとか、忍者になるとか、すごい面白いゲーム考えるとか、(ゲームって暇な貴族がやることないから考えたそうで)すんごい詩を書くなら私も嬉しいんですが(笑)

さちさん
ありがとうございます。そうですよね、傍から見て自立してる、してない、と言われても本人「?」かもしれません。ま、迷惑をかけていなければ・・・。

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