尾崎放哉と自由律俳句についてのメモ/……とある蛙
中川達矢さんのコメント
こういった考察は参考になります。
先ず、自由律俳句を書き続けるのは、自由律俳句という形にとらわれているのでは、という点で、それはそれである意味定型にとらわれているのでは、という疑念がわきました。
という前提を置き、先に紹介された二つの句は文字数からして、俳句の17文字を超えており、何だかあまりうまいような気がしないのです。
が、「せきをしてもひとり」がホウサイの句として語り継がれるのは、俳句よりも少ない文字数で何かを物語る力がそこにあるからではないでしょうか。
言葉を多くすればある程度のことは何事も語れるかもしれないですが、文字数が少ない=寂しい感じが出るという効果もあるのかもしれないですが、自由律俳句がすごい!と思えるのは、8文字で大きなことを語ってしまったからではないでしょうか。