尾崎放哉と自由律俳句についてのメモ/……とある蛙
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- nonya 
- 北大路京介 
- 中川達矢 
こういった考察は参考になります。
先ず、自由律俳句を書き続けるのは、自由律俳句という形にとらわれているのでは、という点で、それはそれである意味定型にとらわれているのでは、という疑念がわきました。
という前提を置き、先に紹介された二つの句は文字数からして、俳句の17文字を超えており、何だかあまりうまいような気がしないのです。
が、「せきをしてもひとり」がホウサイの句として語り継がれるのは、俳句よりも少ない文字数で何かを物語る力がそこにあるからではないでしょうか。
言葉を多くすればある程度のことは何事も語れるかもしれないですが、文字数が少ない=寂しい感じが出るという効果もあるのかもしれないですが、自由律俳句がすごい!と思えるのは、8文字で大きなことを語ってしまったからではないでしょうか。
- beebee 
面白いです。誰もが馴染めない自分を持て余し鬱屈する気持ちを持っていますが、日常の則は越えられない、でも危うい平衡で立っていたりするものだと思う。身に沿うと思うことがありました。
- 梅昆布茶 
- 森の猫 
俳人、鈴木真砂女をモデルにした小説を読み
俳句に興味を持ちました。
奥が、深いですね。
- faik 
放哉と聞いて。
自分も自由律詠んでますが、あれですね。安易に詠んじゃいかんですね。
無論、自分なりの拘りは持ってやってますが、それが誰にとってもの正論じゃないってのを、しみじみと再認識しました。

以後も自重せず吠えます。わおーん!
 
作者より:
nonya さん ポイントありがとうございます。
蛾兆ボルカ さん ポイントありがとうございます。
北大路 京介 さん ポイントありがとうございます。
ばかもの(中川) さん コメント・ポイントありがとうございます。
>こういった考察は参考になります。

参考になればと(笑)、詩と散文面白いテーマ設定して下さい。最近現フォ退屈でしょうがない。

なるみ さん ポイントありがとうございます。
beebee さん ポイントありがとうございます。
>面白いです。誰もが馴染めない自分を持て余し鬱屈する気持ちを持っていますが、日常の則は越えられない、でも危うい平衡で立っていたりするものだと思う。身に沿うと思うことがありました。

最近俳句ばっかりですものね。反省しています。
梅昆布茶 さん ポイントありがとうございます。

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