『戦争詩歌集事典』高崎 隆治より、戦争詩を考える。/こひもともひこ
ふるるさんのコメント
以前、西條八十全集を借りた時、第四巻が「時局詩・少年詩」で、膨大な量の戦争協力詩でした。
その後、『西條八十』筒井清忠著 を読んで、どういう心境でそれを書いたのか分かりました。
つまり、日本が負けることは分かっていて(新聞社の要請で3度ほど戦地を視察していた)でも止めることはできないので、せめて、戦地に赴く教え子を励ましたい、という思いから、美辞麗句満載の時局詩を作った、というものです。
憎しみや戦争賛成以外の動機でも、時局詩は書けてしまうのだなと思いました。

拙文「借りた詩集 西條 八十全集」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=211878
にどんな詩か、真ん中らへんに書いてありますので、ご興味がありましたら。
こちらにも書きましたが、時局詩が戦後詩に与えた影響と言えば、体制への批判なき詩、死をも美辞麗句でうっとりさせてしまう詩、は無意識に避けられたのではないでしょうか。

反戦詩で思い出しましたが、日中戦争の頃ですが、鶴彬(つる あきら)という人が
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」や「屍のゐないニュース映画で勇ましい」「胎内の動き知るころ骨がつき」などの壮絶な反戦川柳を書いています。