黒髪さんのコメントを足場にして: Gemini との激論/室町 礼杉原詠二(黒髪)さんのコメント
室町さんの論で、資本の暴力性、ということが言われていますが、資本を無効化することは原理的に不可能です。資本は消せない。だから人間は、価値の感受性を守るしかない。詩はそのための装置である。ということは、その論理には、人間性の歯止めをかけるしかない。そこで、詩などが有効になるわけです。詩は論理に勝つ論理ではない。論理が触れられないものを保存し、共同化する形式である。その上で、トランプ現象が露呈させる“恥の政治学”、あるいは言語の裂け目(体裁の崩れ)がもつ詩的契機が重要になると思います。世界の行く末は「資本に勝てるか」ではなく、資本に包囲されたまま、人間が“喜びの形式”を保持できるかにある。詩は、生活を抽象化し、価値を数値化し、倫理を標語化する圧力に対して、手触り・羞恥・祝福・弔いを言葉の中に回復する。その回復がある限り、資本は全能ではない。ただしそれは革命ではなく、人間が人間であり続けるための最小の勝利であると思います。
---2026/01/11 10:28追記---
薬は飲んでいます。落ち着いた状態で返答させていただきます。
人は未来に備え、社会は蓄積を必要とし、蓄積は差を生みます。この構造を消すには、人間が時間をもって生きることをやめる必要があります。したがって、資本を消すことが、原理的に不可能であると思われます。
トランプの話は、AIの着想ではなく、私が思ったこと、「トランプのばつの悪さに、自己の経済至上原理(借金を返さないと破滅してしまうよ…)を、上回る可能性があると見た」ことです。
御推察の通り、論を完全にする(相手への気遣いを含め)ために、AIの力を借りておりますが、完全に自己把握をしたうえで提出しております。
詩のことは、私の存在、考え方の核なので、外すわけにはいきません。詩という現実の上に、私の現実を位置させ、保っております。
---2026/01/11 11:56追記---
ご指摘ありがとうございます。まず、私の応答が、室町さんの投げられたボールを正確に受け止めきれていなかった点は、率直に認めます。室町さんは「資本をなくせるかどうか」を論点にしておらず、資本と大衆が延々とせめぎ合い、悲劇が反復される構造を問題にされていた。その点を十分に踏まえず、私の関心(資本は消せないという原理論)を先に出したのは、議論として拙かったと思います。
その上で、本題に戻します。室町さんの言う「二つのアメリカ」――知的エリート富裕層と、そこから疎外される大衆の対立構造――これは実在する緊張関係だと、私も理解しています。
私が「二つのアメリカは二つの言語に過ぎない」と言ったのは、その対立が固定的な二階級として実体化しているという理解には慎重であるべきだ、という意味でした。実際には、個人はその間を揺れ動き、同一人物が状況によって「エリートの言語」と「大衆の言語」を使い分けることもある。私はそこに、流動性と断層の両方を見るべきだと思っています。
トランプについても同様で、彼が富裕層であることと、反知的言説を纏って大衆の支持を得たことは、矛盾ではなく、むしろ現代政治の歪みを象徴しているように見えます。侮蔑への反発が政治的エネルギーになる点には同意しますが、それが「相手の全面否定」へと転化するとき、構造批判が人格攻撃にすり替わる危険も感じています。
私が詩の話を持ち出したのは、この断絶が固定化されたとき、人がどこで踏みとどまれるのか、という問いを別の角度から考えたかったからです。ただし、その提示の仕方が拙く、議論の流れを遮ったことは反省しています。