それはまるで毛布のなかの両の手みたいで/中田満帆
室町 礼さんのコメント
もう三十年以上、市販の小説を読んでないので長い文
章を読むのは投稿掲示板くらいなものです。
この小説も読むのに苦労しました。わたしは昔小説を
書いていたこともありますが、基本もわからないし
何を書いていいかもわからなかったから結局断念しま
した。でも、京都大学人間・環境学研究科教授、詩人
で哲学者の細見和之から「群像に載せさせます。もし
群像が嫌だといったら二度とわたしの原稿は拒否する
ぞと脅しかけます」といわれたことがある。でも断り
ました。自分の技量がどれほどのものかわかっていた
からですが、こういうことを言ったのはあながちわた
しが小説が読めないわけじゃないことを伝えたかった
からです。
で、この小説ですが、
主人公の内面が非常に丁寧に描写されており、彼の
自意識や葛藤がリアルに伝わります。でも詩じゃなく
小説だからそんなことはどうでもいいのです。他人
の自意識だの葛藤だの興味もないのがふつうでしょう。
では小説の読者は何を読むのか?
そこがちっともわかっていない。わかっていないから
わたしには幼稚で散漫な作文にしかみえない。
澤あづさが幾ら褒めてもこれじゃ雑誌社や出版社は
採用しない。
「かの女」や「やつ」や「主任」といったキャラクター
の背景が十分に描かれていないのは何故か?作者が
自分にばかり興味関心があって他者には興味がないから
です。小説書きにとってこれは致命的な欠点であって
それ故に読者からも読まれない。詩と違って小説の場合
はこの逆がいいのです。他者のこころや背景をぎりぎり
まで描いて自分はからっぽでカスでゴミで空気の存在と
して扱うくらいがいい。他者に関心がないから自分の
ことばかり書く。自分のことばかり書くから他者に読まれ
ない。でもほんとうは他者のことを書くことで自分を
書いているのです。読者はそこを読む。そういう小説の
定則がわかっていない。
これは中田さんだけの欠点じゃなく今の若い詩人がみな
小説が書けない原因です。自分のことばかり興味関心が
あって他者のことなんかまるで考えない。詩と違って小
説は自分をどこまで殺せるかが勝負です。それが出来る
ようになるには
まず精神的に大人にならなきゃ。この小説のラストのよ
うな幼稚な自己肥大のイリュージョンなんか書いて面白
がるのはそこらのポエム好きなガキだけです。大人の
鑑賞には耐えない。まだまだ山のようにアドバイスした
いことはありますがとりあえず今日はこれだけ。