波紋/たもつ
アラガイsさんのコメント

食べてすぐ横になると牛になって川まで来ていた。これは私も癖になっているので非常によくわかります。~川まで来ていた。ということは転た寝状態でみる夢のようなものでしょう。~気がつくと隣には一緒に牛になった君がいて、川面の波紋を眺めている。この気がつくと~と置かれてあるのがミソでタイムラグを呼び起こしている。実はまだ夢見状態で、~一緒に牛になった君がいて~これは長年連れ添うパートナーのことを指している。長年というのも、ここに書かれている川面の波紋でわかります。波紋とは徐々に広がっていつのまにか消えていくものです。置き換えられて、これは二人の歩んできた時間のことだろうというのもわかる。喩を通してよく考えられている作りだとは思います。思うのだけれど、いまいちピンと焦点が合わない余韻も乏しい作りの読みになってしまいます。というのも~気がつくと~これは夢のなかの気づきだとすればこの語り手は冒頭からずっと同じ夢をみているわけですが、三行目、晴れたら洗濯をして~残っているものもない。この物思いに耽っているような状態だけ場面が異なるわけです。なのでこの空間に見て取れる夢のタイムラグがちょっとしたズレではなく大きく時間差を伴ってしまう。特に短くまとめられである作りの詩では、このような気がつくとか、いつのまにかとか、時空の省略を指すような意味づけは曖昧さも指すことになってしまうと考えます。なので私個人からみればこの三行目、晴れたら洗濯をして~の冒頭のほうが、夢の中のまた夢、この意図して複雑に置かれる混乱を、より読み取りやすく流すこともできるのではないか。とそう思った次第です。