[937]……とある蛙[2011 05/08 16:48]☆
関係を揶揄する人もいますが、結局国柱会は賢治の信仰を深めることはなかったと言われています。東京上京後帰郷したのは、まさに国柱会の現実の活動への幻滅からだと考えられます。ビラ配りみたいなことを矢って射たようです。
10 彼は地方の金貸しの息子ですよ(豪農になったのは金貸しの結果であって金融資本家というべきです)。それを前提にして社会の状況を見ればどれだけ精神状態がバラバラになるかは容易に理解できると思います。そもそも思想家として矛盾無く生きられる人間では無いと思います。その当時の状況を考えると批判するのは勝手ですが、馬鹿馬鹿しいくらい非生産的なくだらない批判になっていると思います。
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