[937]……とある蛙[2011 05/08 16:48]☆
は知りませんが。
ダダイストの辻潤が絶賛し、中原中也をして、無人島に持参する物の一つとして、この詩集を挙げさせました。
2 草野心平もその才能を高く評価し、文通を通じて親交を深め、詩誌「銅鑼」(草野心平編集)に詩を発表している。
3 意外と知られていないのですが、亡くなった年の1933年3月3日に三陸沖地震があり、津波による海岸の状況の悲惨さを知人 の手紙に送っているようです(3000人くらいの死者行方不明者が出たそうです)。亡くなったとき草野心平は宮沢賢治を評し て真の天才としています。
4 春と修羅の序は賢治本人の「春と修羅」という詩集に対する視点の宣言であり、「心象スケッチ」という
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