[62]大村 浩一[2005 02/08 00:52]★2
既成の他人の作品では伝えられない領域が朗読者に見えてきて、それに届か
ない苛立ちや異議申し立てが自分の中にわだかまってきた時、その人がそこで
オリジナルの自作詩の朗読に進む…これは有り得る流れだと私は思います。
考えてみれば。もともと詩を書くような人とは、音楽など他のメジャーな既
成の表現物に飽き足りないからこそ、自分の創作を始めるのではないか。
そして自分の作品なら、それを表現する欲求もより強くなる。「朗読」で強
く詩を受け取った経験のある人は、自分もそうした強さを持つ「朗読」で自分
の詩を返そうとするのではないか。この「朗読」を「映画」と読み変えれば、
合点が行く。映
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