[548]もぐもぐ[07/12 15:10]★2
している。
(例えば、体が利かなくなったとき、自分を卑下したり恥ずかしく思ったりすることが多いのも、やはりこの、同じ身体の重要性に由来している)。

身体の自由という人権は、その意味では、他の全ての人権の享有のための、大前提をなしていると思われる。そのような経験から語られる言葉にも、深く、耳を傾けるべきものがあると思う。


ここからは例えばの話だけれども、

例えば病に冒され、体が不自由になり、そうした経験を、健康な人は軽んじがちなことがあるが、そこにある超えられない経験の溝を知ること、それはそう生易しいことではないと思う。身体を陵辱される経験もそれに似ている。その限りで、今健康な立場にあるのなら、そうした身体的な苦痛の経験から語られている言葉に、慎重になってなりすぎるということはないと思う。
戻る