[464]もぐもぐ[07/11 16:32]★1
の運動は、「民族自決(権)」として、国際に認知されるようになっていった。
ところが、この権利は、諸刃の刃でもあった。言語と住む土地の共通性で境界線を上手く割り切ることのできない場合は、実際上極めて多い。歴史的な経緯から(先の支配国の行政区分とか)そのような共通性を無視して境界線を確定した人口国家は、多数生まれてしまっていた。これらの国家においては、異なった文化的アイデンティティーを持つ集団を何とか統合するために、共和制を取り、大統領に強い権威をもたせることで、無理に国家的統一を維持していくという形が取られるより他なかった。そのため、大統領の独裁が強くなってなかなか政権が交代しなかったり、その
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