現場のへその緒(3)/Giton
これも立証不十分、失敗といわざるを得ないでしょう‥
失敗なら失敗だと結論すればよい。読者としては、それだけのことです。
そこを無理して、“宮沢賢治だから失敗するはずがない”“聖人なんだから無謬だ”などと考える必要はさらさらない──というのが私のスタンスです。
しかし、それにしても、じっさいに作者賢治には、どんな実景が見えていたのか?‥見えていなかったのか?‥そこの事実問題が解決しない以上、“スイスになる”──あるいは「こゝこそ天上」──は大げさか、そうでないか、失敗か、そうでないか、などと言っても、しょせんは足もとを欠いた空虚な議論にすぎないように、思われました。
これは、ぜひとも自分の脚で現地を踏んでみなければならない──そう思ったのでした。。
((4)に続きます)
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