(ステージ)/はるな
 
、なぜなら、彼らがわたしのフィールドに入ってきたいと考えたかどうかがわからないのだから。


どちらにせよ人びとは行ってしまう、そして、ここでまたわたしは考える、わたしは誰かにとっての「いってしまったひと」であるか。そうであったらいいなとわたしは思う、それは認識だ、認識されて人間は存在する、「いってしまった人びと」を、過去の場面において存在させているのはここにいるわたしなのだ、そしてそれを「いってしまったひと」として、別の場面で認識しているひとがいるとするなら、わたしはどこかわからない、しかし確実にある時点においての存在となる。すれちがう人びとは一体なにを考えているのだろう?彼らにはいくつの
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