こもんさんの詩について思うこと/渡邉建志
 

白身と黄身の逆転したゆで卵である。おしるし=黄身の位置が「内」にあると
思っていたらば何と外に存在して、卵の中身という総体が卵の殻に囲まれているよ、
という主張にはやがわりするのである。
ここにおいて「わたしの内に外として」は「逆転ゆで卵」における針のようなものである。
それは内部を突き刺して外部へ揺れていく。

くりかえしなのに、ずれていく。この面白さこそがこもん氏の繰り返し詩の
味わいの一つになっているのではないか。
「反復される差異」と第四無名者氏は言う。
そしてそれ自体が「純粋性」を示すと言う。

反復されるたびに意味がずれていくので、もはや繰り返されるごとに
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   グループ"フレージストのための音楽"
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