平坦な戦場で僕らが生き延びること/高田夙児氏の詩について/渡邉建志
 
という一文が来るとき、ここには「僕」と友人しかいない。それで、大切なことを言うかと言うと、鷺のことなんて話してる。「ポキておれそうね」なんて言ってる。これはたぶんユーモアなんだけど、どうじにそこはかとなくかなしい。なんでそんなことを言うんだろう。友人は鷺をポキて折りたいのだろうか。ポキて折れそうなのはむしろ「僕」であり友人ではないのか?変わらない平坦な世界を細々と生き続ける僕らではないのか?


   白く細かった鷺が水しぶきの中
   静かに足を上げていた

「僕」の目の透徹。湿った、カメラのような。うん、彼はいつも透き通ったカメラを持っ
[次のページ]
   グループ"フレージストのための音楽"
   Point(4)