ある15歳の経路/小林レント讃1/渡邉建志
った
でも僕はその
<『やっぱり』 僕は全然悲しくなかった>が
悲しかった
レント作品を、「日常風景の中で『わたし』が狂っている作品」と、「舞台自体が狂っている作品」というふうに便宜上分類したとき(本来舞台を認識しているのが「わたし」である以上この分類はおかしいという批判は大いに有り得るんだが)、この作品は後者であり、これをレントSFなどと呼びたい。この系譜のいちばん上に来るのが「白い日」であったのかもしれない。このあとにはたとえば「名前のない風景」の強烈な電車の舞台が待っていることだろう。引用部を見ると、ここには構文上の遊びがある。のちに「微笑の風景
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