生前と死後のあいだで/小林レント讃3/渡邉建志
撃を受けたような記憶がある。
自分が何かに沈んでいく感覚というのは、死に近づいていくことと似ているのかもしれない。おそらく、生と死はデジタルに分かれるものではなく、いうなれば「徐々に」死ぬのである。一酸化炭素中毒死を考えてみると、まず、たぶん意識が少しずつ遠くなり、からだに痺れを感じ、だんだんと意識が水面下(水面というのは、おそらく生活とか現実世界と同じで、水面下はあの世だったり、非生活だったり、植物状態としての自分だったりする)へ沈んでいく。そうしているうちに、おそらく感覚器と脳の違いをはっきりと認識するときが来るだろう。つまり耳で聞くのではなく脳で聞くのだということ。音楽を聴きながら練炭
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