沈黙と怒り/小林レント讃4/渡邉建志
 
 だ」と言う。太字部の「あげる」が、いまの半狂乱の状態を鋭く示している。例えば(とんでもない安い例だけど)、「殺してあげる」って言って笑う殺人犯も、「あげる」を使っているではないか。そして食べられた「コイビトノカゲ」はたぶん僕から抜け出て他のコウモリの指先に止まり、僕がまた食べに来るのを待ち続ける。体の中に巣食う記憶の恋人を、食べるという隠喩を用いて表しているのだろうか?自分の中の空っぽさを、影を食べて満たすのだろうか。後の「秋空の散文詩」のなかに、

すこしでも腹が減れば何か食べる。体内の空にはかならず
オモカゲビトが棲みはじめるから。オモカゲビトをそんな暗いところ
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