尾崎喜八「山の絵本」を読む/渡邉建志
 
想するというときのほうが遥かに多い。

そして、「魔弾の射手」は山地そのもののヴィジョンを私に与える、だとか、シューベルトのリートは何ということなしに山を想わせる、といい、

いつも彼シューベルトの音楽の底を流れているあの響き、それこそ最もしばしば真の登山家の独(ひとり)の心に触れて来るもののように私には思われる。

そうなのか。次にシューマンが出てくるのですが、シューマンは山っぽくないらしい。でもいいのだという。シューマンは室内楽的であって自然の要素が少ない、という。次に称揚するのがフーゴー・ヴォルフである。
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