■批評祭参加作品■ アンファンス・フィニ/和泉 輪
 
えば次の行に出てくる「私」が現在に位置し、「僕」の方が過去の「Enfance finie」を象徴する存在であると言えるだろう。


今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣れよう。床に私の足跡が、足跡には微かな塵が・・・・、ああ哀れな私よ。

「大きな川のように人と訣れる」とは一体どういう意味だろう。思い返してみれば私の学生時代、同窓の学生たちは共通の目的意識を持って集まっていた。そして最終的に目指す方向は違っても、少なくとも在学中は無事 卒業することを目的とし助け合っていたように思う。だが卒業を機に連絡が途絶えがちになり、やがて疎
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   グループ"第2回批評祭参加作品"
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