■批評祭参加作品■ピラミッドは三角か?/岡部淳太郎
 
しろ全篇にわたって「雨・雨・雨」であるから、語り手の「私」や「あなた」よりも「雨」の方に重点を置いて読まれたとしても不思議はない。私はこの詩が恋の歌であることを示すために冒頭にわざわざ「――Sに」という献辞を掲げているのだが、読者の自由な解釈を容認するという前提に立てば、このような献辞も本来は無用のものであるはずなのだ。この「S」が詩の中にある「あなた」と同一人物であることは見えやすいが、もしも献辞がなければ「あなた」はどのように解釈されていただろうか。「あなた」を語り手の恋愛対象ではないと仮定して読むとするならば、語り手である「私」の意味も当然違ってこなければならない。「雨/私の名は雨」などとい
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