その2俳句の非ジョーシキ/佐々宝砂
の違いに関して、ちょっといい例を思い出した。尾崎放哉「せきをしてもひとり」が俳句で、江戸の古川柳「屁をひつてをかしくもなし独り者」が川柳だー。こりゃ間違いない。どっちも孤独だが、片方は咳で片方は屁。ちなみに「咳」は冬の季語。「くしゃみ」も昔は冬の季語だったが、きょうびは春の季語かもしれない。
***
俳句のことを考えていると、なぜか「自由」という気恥ずかしい言葉が思い出されてならない。決まり事のたくさんある俳句は、不自由なものだろうか? 私はそう思わない。季重なりを避けることによって、似たようなものを避けようという気持ちが生まれ、かえって自由なものとものとの結びつきが浮かんでくる。
[次のページ]
[グループ]
戻る 編 削 Point(10)