山田せばすちゃんショウ その2/山田せばすちゃん
かもれないけれども)と俺は考える。自らのターゲットに対して自覚的であるということは自らの技術に対して自覚的であるということと、実は同じだからだ。「人を見て法を説け」といったのは本当に釈迦だったかどうかは記憶の怪しいところだけれど(笑)。
技術の始まりを伝達手段に位置づける事は、あるいは詩の可能性を一部に限定する事になるのではないか?という疑問はあって当然なのかもしれない。俺は別に人に何かを伝えたくて詩を書いているのではない、俺自身の書きたいと言う内的衝動と内的必然性にかられて俺は俺自身のために詩を書いているのだ、などとそんなこという輩は当然予想されうるし、事実そういう輩は必ずいる。
それに
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