●そろもん第三の栞/みつべえ
 
戦中戦後の「マチネポエティク」から現代の「中庭詩集」までの定型詩の試みは、口語自由詩のとめどない散文化への警鐘であった。それは個々の作品うんぬんよりも、饒舌冗漫でいつ果てるともない詩法へのあてつけとして意義を持つ時代のアダ花であり、その果敢な、しかし儚い大義によって今後も詩史に名をとどめるだろう。けれども「中庭詩集」で私が期待したのは、人工的な(みせかけの)押韻を施された言葉遊びとしての詩ではなく、個々の詩人たちの生活の内部から立ち上がった「詩行のあらゆる場所で響き合う言葉の構成」であった。生活意識の実感のともなった韻文。私はそういうものをめざしているのだろうか? だとしたら生活の中に不断に出現す
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