【批評ギルド】『早朝』 桐原 真/Monk
いものは断定しにくい。「泣きた
い」という言葉には人それぞれの「泣きたい」があり、疑えば簡単
に「それは違う。それは『泣きたい』ではない。少なくとも俺と
は」と言ってしまうことができる。読み手にはそういう余裕がある。
じゃあなぜ右半身と左半身の話が嘘っぽくないかと言えば、それは
感情や感覚のようでいて実は現象だからだ。事実だからだ。加えて、
表現がおもしろいので読者を引き込んで余裕を奪える。「俺の『右
半身と左半身のずれ方』とはちがう」って言う奴はあんまりいない。
なるほど、よくわかりました。
さっさと作品の中に行けよという感じだが、結局のところ作品に描
かれているのは
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